あたりまえという奇跡: 岩手・岩泉ヨーグルト物語 / 山下欽也


 かつては多額の負債を抱える廃業寸前の赤字会社。誰もが存続は難しいと考えていた岩泉乳業を引き継いだ著者。著者の前に社長は4回交代している。使えるコマはみんな使い果たした上での就任だったという。

 町長室に呼ばれて、社長就任を打診された「冷たい革の椅子」という節がある。「少し時間をください」と返し、町長室を後にする。その時点で累積赤字は2億8000万円もあったという。反対する周囲の人達に対して、著者に浮かんだのは厳しい中、出資してくれた酪農家たち。何をしても楽しくなく、落ち込んで、酒の量は増える一方。

 ある朝「やって見るかー。」と思ったという。何が決め手なのかわからないが、最後に残ったわずかな責任感と小さな勇気。悩むことに疲れたのが正直なところだという。

 著者が生まれ育った有芸。幼少期のエピソードから始まり、希望に満ちた高校時代。どん底に落とされた父の死。岩泉に残ることを決心する。

 社長就任から6年目、ついに累積赤字はゼロ。社内は歓喜し「さあ、これから」というときに来た台風。会社や工場は壊滅状態。それから始まる復活に至る経緯も圧巻です。

 私は著者の講演を2回聞いた時がある。2回目は宴席もあり10名程度の小規模で席も正面だったので、そのとき話したことをよく覚えている。本になりそうな話ですね。お金を出せば、何時間か話をして文章を起こしてくれる人はたくさんいるんですよ。そんなことを言った。

 著者がそれを実行したかどうかはわかりませんが、こうやって本という形になったことはとても素晴らしいと思う。講演会で素晴らしいと思うことはある。しかし講演者の著作を読んでから講演会を聞くと、復習になって良いのはもちろんですが、1冊の本ほど情報量が講演会には無いということを痛感します。

 本書を読んでそれを感じたし、植松努さんの本を3冊読んでから聞いた話もそうだったし、最近では秋田豊さんの本を読んでから話を聞きましたが、同様の感覚を得ることが出来た。講演会は限られた時間と空間であるが、本は無限の時間をどんな場所でも提供してくれる。そんな著者の経験を疑似体験することが出来て、とても有意義な本書でありました。

 講演会を2回聞いた私ですが、その空間では感じ取れなかったエッセンスやエピソードをメモしておこうと思います。

 「知らないことは恥ずがしがらずにプロに聞け」「岩泉は山々に閉ざされているのではなく山々に守られている」「アルミパウチのヨーグルトを最初に持ち込んだのは、宮古セントラルホテル熊安」「アルミパウチの特許は取らなかった。なぜならアルミパウチ入りのヨーグルトの認知度が上がり、スーパーの棚が広がり目につきやすくなると思った。」「成功者の証と言えばベンツ。購入したら妻から、運転手と間違われる。といわれた。」

 「ラジオから聞こえたメッセージ」という節があります。車中で電波状態が悪い中でラジオを聞きながら走っていたとき、途切れ途切れに「岩泉ヨーグルトの復活を待ち望む声」が聞こえてきて、電波状態が良いところを探し停車し聞き入って涙したという内容です。ここはとても感動しましたが、少しプロのライターっぽかったです。笑

 こんな本を後世に残してくれたことに、とても感謝しつつ、いつかお会いする機会があったら質問したいと思います。「冷たい革の椅子」って自分で考えたフレーズなんですか? 冗談はさておき、同じ経営者としてとても刺激を頂ける本書でありました。ありがとうございます。

This is the 11th book in February and the 36th in 2024.