ライアの祈り / 森沢明夫


「津軽百年食堂」「青森ドロップキッカーズ」に続く、青森三部作です。「青森ドロップキッカーズ」は結構前に読んでいましたが、最近「津軽百年食堂」を読んで、2冊は関連しており、その集大成が本書と言うことを知り迷わず読了です。

青森県八戸市を舞台に、縄文時代に想いを馳馳せる男と女が出会い、恋愛に発展していく。主人公の大森桃子は明るい性格ながら、バツイチで心に傷を負っている。同僚から「人数合わせ」でいいからと、人生初の合コンに誘われる。そこに来ていたこちらの男側の「人数合わせ要員」佐久間五郎(クマゴロウ)。最初出会った合コンで、飲んで潰れておんぶして送ってもらうあたり。呑兵衛の女の方は、とても親近感を抱かせてくれるでしょう。

クマゴロウと桃子の最初のデートがとっても素敵です。八食センターから始まり、はしご酒。「大助」という飲み屋が出てきたりするあたりが妙に親近感をもらえました。食い物もみんなうまそうです。気になったのは「サバ缶せんべい」南部せんべいに、サバの水煮を掛けて食うという、なんとも酒に合いそうな感じです。笑

この小説は、二人の男女の物語と並行して、縄文時代の物語が進みます。そして、それらが融合というか、時折みせるフラッシュバックなど。とても上手く出来ているなぁ〜と、妙に感心させられました。

著者はあとがきで、このようなことを書いています。

「裕福」と「幸福」は違う。たとえ「裕福」な億万長者でも、不幸を感じて自殺する人もいれば、さほどお金を持っていなくても、いつもにこにこして周囲に感謝し、「幸福」な一生を過ごす人もいる。ぼくがざっくりと思うに、縄文人たちは概ね後者だったのでしょう。彼らはみんなが「幸福」であることを第一義とし、結果、自然と共存し、色々なものを分け合い、感謝し合い、愛し合った。一方、弥生人は「裕福」であることを第一義としたせいで、利権を奪い合い、殺し合った。その結果、「幸福」からどんどん離れてしまった。幸せのカタチは人それぞれですが、現代を生きるぼくらは、そろそろ「裕福」よりも「幸福」を目指していい気がします。一万年も続いた縄文時代の人々のように、みんなで「幸福」になることを目指す。そんな時代になったら、きっと素敵ですよね。

知恵や発想などは、どんな時代からでも学べるかもしれませんが、心の中のことについては、もっと時代をさかのぼり、縄文人から教えられることがあるのではないか。もっともっと根本的に、「幸福」を考えるとき「裕福」になるためにすることは、「幸福」を減らす行為なのかもしれない。そんな風に考え、自分も少し「優しくなった錯覚」を与えてくれるとても感動的な内容でありました。

「津軽百年食堂」「青森ドロップキッカーズ」「ライアの祈り」の青森三部作。この3冊を読めば間違いなく「青森に行って美味しいものをたくさん食いたい」と、そんな衝動にかられることでしょう。そしてこの三部作は、青森の地域活性にだいぶ貢献しているのではないか。こんな手法ありなのではないか。宮古のことが書かれた小説が、たくさんあったら、宮古に来てみたい人も、たくさん出来るんだろうな。そんなことを思わせてくれる、とても素敵な小説でございました。

11 th in September / 254 th in 2023