津軽百年食堂 / 森沢明夫


大森食堂の長男、大森陽一は、
大学卒業後に店を継ぎたいと願い出たが、
父から他の店での修行を言い渡される。
東京の中華料理店で修行を始めるが、
店を飛び出して首となる。
その後は、プロダクションと契約し、
バルーンアートなどをイベントなどで、
作る仕事をしていた。

バルーン配布のピエロとし
派遣されたおもちゃ店で、
写真家の助手を務める七海と出会い、
同郷で高校の先輩後輩という間柄が
判明し交際が始まる。

一年後、陽一に姉から電話がある。
父親が出前中の事故で足を骨折した。
毎年出店している「さくらまつり」は、
おまえが指揮を取れと命令される。
陽一が弘前へ帰省してみると、
父の怪我は足の指の骨折で、
いつもどおり仕事をしていた。

七海も陽一を追うように弘前へ帰省すると、
家には家族がすすめる見合い相手がいて、
弘前公園へ行き、そこで「さくらまつり」の
出店準備で公園に来ていた陽一と遭遇するが、
誤解はなんとか解決。

陽一と父親は「さくらまつり」出店を通じて、
ここ何年も二人の間にあった、
わだかまりが取り去られて行く。
そして七海も出店の手伝いを通じ、
陽一の家族と打ち解けて行く。

そして陽一と七海の相違していた夢は、
同じ方向を向いて行く。

森沢明夫さん、相変わらず素敵です。笑

この小説を書くにあたって著者が
実際に取材をした「津軽百年食堂」10軒、
店の外観と店主の写真を含め、
住所や電話番号まで紹介されています。

青森県が定めた「百年食堂」の定義は、
三世代、70年以上続いている大衆食堂だという。

青森県知事のコラムにこんなことが書いてあった。

元々、「津軽百年食堂」のPR事業は県庁のまるごとあおもり情報発信チームが、青森のユニークな誇るべきコンテンツとして全国にキャンペーンを行い、誘客を図ろうと立案したものである。
 その心意気や良し、志や高しと応援団になった小学館の編集者や森沢さんが、百年食堂それぞれで出会う青森の人達の虜となり、「百年の刻を越え、受け継がれてゆく美しい心の奇跡と感動」の物語として書き下ろしたのが、この作品である。ちなみに舞台は弘前。

本書に続いて刊行されたのが、
「青森ドロップキッカーズ」
そして三作目もありそれが、
「ライアの祈り」だという。

「青森ドロップキッカーズ」は読んだので、
ぜひ「ライアの祈り」は読んでみたい。

青森県知事のコラムはこんな言葉で締められていた。

森沢さんは三部作を締めくくるにあたって、「2008年に『津軽百年食堂』の取材をスタートさせてから、足掛け5年。その間、ぼくの心はずっと、ずっと、青森フィーバー状態でした。そして、いまではすっかり青森県と県民のファンです。自然は豊かだし、人は謙虚で酒飲みで優しくて、足を突っ込めば誰でも分け隔てなくあっためてくれる「にっぽんの掘りごたつ」みたいだし、食べ物もいちいち美味しいし!もう居心地がよすぎて、毎月でも遊びに行きたいくらいです。」と書いて下さっている。こんな応援団がいてくれて、本当に心強い限りである。
 私たちの青森の素敵さ素晴らしさを、改めてこの青森三部作(弘前・青森・八戸の三都物語でもある)で県民の皆様にも再発見していただけたら幸いである。

東京から食堂に来たお客さんが、
店主に因縁をつける場面がある。

「こんなのは蕎麦じゃねぇ〜」

しかし、店にいたチンピラ風の客が、
そいつを店から追い出し客から喝采を
浴びる場面がある。

うちの店では「煮立て蕎麦」と「煮置き蕎麦」の両方があるけれど、地元の人はだいたい「煮置き」を注文する。二度も茹でるから麺のコシは弱くなくなるけれど、こっちの方が、味がまろやかで美味いのだ。

私もいつか食べてみたい。

食欲もそそるし、現地を訪れたくなる。
私も津軽百年食堂に、
ぜひ訪れて見たいと思ったし、
このように地域活性化につながりそうな、
小説もあるのか。
そんな本書でありました。

10 th in September / 253 th in 2023