物心ついた頃から当たり前の様に身の回りに存在するプラスチック。昔はなかったはずのプラスチックに関する感覚は個人的・主観的なものだけでなく、歴史的・社会的に構築されてきたことを明らかにしている内容といった感じでしょうか。
感覚は身体的であると同時に認識的であり、時代や文化によって意味づけが変わる。本書は特に19世紀末以降の資本主義と技術の拡大が、人々の感じ方をどう変えてきたかを、アメリカを中心に日本など国際的な広がりも視野に入れて考察しています。
ガラスやセロハン、プラスチックなどの新素材は、単なる技術革新にとどまらず、衛生観や消費文化を大きく変えた。
ガラスのショーウインドーやセロハン包装は「透明性」を価値づけ、触覚や嗅覚より視覚で品質を判断する習慣を育てた。食品の生々しい匂いや汚れを遮断し、「清潔」を視覚的に訴える文化の土台が築かれた。
1950年代以降に広まったタッパーウェアなどのプラスチック製品は、無味無臭・カラフルで近代的な素材として宣伝され、「細菌がつきにくく清潔」というイメージが定着した。これが家庭の衛生基準を変え、使い捨て文化を支える感覚を生み出した。
こうした「清潔感」は自然なものではなく、マーケティングや社会状況が設計したもの。さらに都市空間やデパートがもたらしたモダンな消費感覚、感覚の科学化、工業デザインによる体験の設計、テーマパークやパック旅行、パノラマからVRに至るヴァーチャルな感覚の商品化、ジェンダーや権力と結びついた感覚の政治性までを取り上げておりました。
私たちの「当たり前」の感じ方は、資本主義と技術によって商品化・標準化され、更新され続けてきたことを示し、それを相対的に捉え直す視点を提供させてくれるそんな本書でありました。
プラスチック包装の肉や魚の方が「きれい」と感じる感覚は実は、洗脳により作られた感覚だったということにとても考えさせられた。
自分の感覚さえ社会や資本にデザインされていると気づくと、消費や環境問題への見方も変わるような気がします。
そして最後にかならず酒に流れを持っていくのがクセになっておりますが、プラスチックで飲むよりはグラスで飲むほうが絶対おいしいのは、私だけではないでしょう。(笑)
が、しかしです。私の様に氷を入れて飲むお酒を常飲する人にとって、ステレスのタンブラーとはなんて優れた文明のチカラなのだろうかと、感じている人がいるのではないだろうか。
本書は「プラスチックが清潔」というお話ですが「タンブラーの氷燃費がすごい」という締めを思いついたので、今夜も帰ってハイボールをくらいながら、Netflixで「あいの里」でも鑑賞しようと思います。(笑)
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