村上龍さんの本は、「限りなく透明に近いブルー」「69 sixty nine」「コインロッカー・ベイビーズ」「テニスボーイの憂鬱」「ユーチューバー」「インザ・ミソスープ」「55歳からのハローライフ」「新13歳のハローワーク」「昭和歌謡全集」「オーディション」「KYOKO」「恋愛の格差」に続き、本書は13冊目のアウトプットです。
発刊は2001年ですが、そのころの中流家庭が抱える問題を、内山家の四人それぞれの視点から描いた作品です。
物語の舞台は、一見どこにでもありそうな内山家。父の秀吉は部品会社の中間管理職で、会社の経営悪化によるリストラの危機に怯え、給料も減っています。家長として家族を守るべきだという意識が強く「家族は一緒に食事をするべき」といった古い価値観を押しつける一方で、自分の不安を家族に打ち明けられず孤立しています。
母の昭子は専業主婦で、引きこもりの息子・秀樹のために精神科やカウンセリングに通い、頭がいっぱいです。その過程で若い大工の男と肉体関係のないプラトニックな関係を持ち、妻や母という役割から少しずつ自分自身を取り戻し始めます。
長男の秀樹は二十一歳で、大学在学中に人間関係の挫折をきっかけに引きこもりを始め、すでに一年半ほど部屋に閉じこもっています。窓を黒い紙で覆い、直径十センチほどの穴を開けて外を覗く生活を送り、感情を抑えきれずに家族に暴力を振るうこともあります。
長女の知美は高校三年生で、名門大学への進学が有望視されていますが、元引きこもりで宝石デザイナーの十歳年上の男・近藤と交際しており、自分の進路や家族の異様な空気に疑問を抱き始めています。
物語は、秀樹が自室の穴から向かいの家で男が女性(ユキ)の髪を掴んで引きずる場面を目撃するところから大きく動き出します。秀樹はそれがドメスティック・バイオレンスだと知り、ユキを救いたいという強い衝動に駆られます。
外に出て弁護士や関連機関に相談するなど行動を起こしますが、「部外者には何もできない」という現実を突きつけられます。この救済の失敗を通じて、秀樹は大きな気づきを得ます。善意で誰かを救おうとする自分の気持ちが、実はDV加害者と同じく「相手を支配したい」「自分の存在価値を確認したい」という優越感や自己満足から来ているのではないか。この自己省察が、秀樹を部屋の外へ、そして自立へと向かわせるきっかけとなります。
一方、家庭内では緊張が高まります。秀樹の暴力で秀吉が怪我を負ったり、家族の関係はどんどん悪化していきます。昭子はカウンセリングを通じて自分自身の人生を見つめ直し、知美は近藤の影響で安定した道である大学進学が本当に自分の望むものか疑問を持ち、イタリア留学を決意します。
転機は秀吉のリストラです。会社から解雇を宣告された秀吉は絶望し、手首を切って自殺を図ります。しかし、その痛みの中で「息子の秀樹も、今の俺くらい辛かったんじゃないか」と初めて息子の苦しみを理解。家族に何も言わずに死ぬのは、会社が自分にしたことと同じだと気づき、自殺を思いとどまります。
家に戻って解雇された事実を告白したとき、家族は予想外に優しく接します。その後、内山家は物理的に解体されます。秀樹は弁護士を目指して専門学校に通い始め、アパートで一人暮らしを始めます。知美は大学進学を断り、近藤とともにイタリアへ渡ります。昭子は引きこもりの親の会が関わるNPOなどで働き始め、自立した生活を送ります。
秀吉は家を処分し、小さなコーヒー店を始めます。最後に、秀吉のコーヒー店に母・息子・娘がそれぞれ訪れます。そこで秀吉は誇らしげに三人を「おれの、家族なんだよ」と紹介します。役割や義務で縛られていた「家庭」という箱は壊れたが、その代わりに、互いを一人の人間として尊重し合える本当の意味での「家族」が生まれた。
誰かを救うことで自分も救われるという依存的な関係ではなく、まず自分自身が一人で生きられるようになる。それが結果的に大切な人を救うことにつながる、というメッセージが込められている、そんな感じのセックスもドラッグもグロテスクも一つも出てこない、村上龍っぽくない作品でありました。(笑)
秀樹がDVのことで相談するんですが、いろんな所に電話とかを掛けるわけです。やり取りがとても詳細なので、これはすげぇ〜取材をしたんだろうなぁ〜と思っていました。そうしたら案の定、あとがきで取材した人に感謝の言葉を述べていたんですが、そういう人の名前たくさんあげていたので、それはそれで少しうれしかったです。(笑)
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