心理学者である著者が、現代社会に蔓延する「数値化」の功罪を、身近な事例と心理学・統計学の知見から丁寧に解き明かしている内容になっています。
偏差値やGPA(成績評価指標)、KPI(重要業績評価指標)、SNSの「いいね」数、大学ランキング、健康診断の数値など、私たちは生まれた瞬間からさまざまな数字に囲まれ、評価され、比較されながら生きている。
数字は本来、複雑な現実を整理し、判断を助けるための「道具」にすぎない。ところが、それが可視化され、評価や報酬、社会的信用と結びつくと、いつの間にか「数字を上げること」そのものが目的化し、本来の目的が見失われてしまう。
この現象を「数値化中毒」と呼び、そのメカニズムと弊害、そしてどう向き合うべきかを論じています。
指標が目標になると、それはもはや良い指標ではなくなる。測定が社会過程を腐敗させるという。
イギリスの救急外来で「4時間以内に95%の患者の処置を終える」という基準が導入されると、病院側が受け入れ準備が整うまで救急車から患者を降ろさないという行動が広がり、かえって患者の待機時間が長くなる事態が生じた。
アメリカで心臓外科手術の死亡率を病院・医師ごとに公表すると、重症患者を避けて成功しやすい軽症患者ばかりを選ぶようになった。
日本では、高校が国公立大学の合格者数を追い求めるあまり、「どんな学びを実現したか」という本質が後景に退き、大学ではGPAを上げるための単位取りや易しい科目選択が横行した。
歴史的には、インドのデリーでコブラ退治に報奨金を出したところ、人々がコブラを飼育して殺すようになった「コブラ効果」、ベトナム戦争でのボディカウント(敵の死体数)重視が民間人被害を拡大させた可能性なども取り上げられていた。
数値化は比較を容易にし、自己価値を数字に委ねやすくする。外発的な評価や報酬が支配的になると、「好き」「楽しい」「意味がある」という内発的動機づけが弱まり、学びや仕事が息苦しいものになっていく。
「測定執着」という言葉を取り上げていた。経験や専門知識に基づく判断を数値で置き換えられると信じること、数値を公開すれば透明性が確保されると信じること、数値に報酬や罰を結びつけるのが正しい動機づけだと信じること、という三つの思い込みが重なると、「数値に表れないものは存在しない」という発想が広がるとされるという。
偏差値についても、単なる統計的な位置を示す数字にすぎないのに、日本では学校序列化の指標として独自の役割を果たしている。
最後に数字の呪縛を解くための心構えが提示されていた。測定はあくまで道具であり目的ではないこと、測れない価値(創造性、好奇心、人間関係の質など)を忘れないこと、集団の最適化と個人の幸福を混同しないこと、予測は未来を保証しないこと、多層的な自己理解を取り戻すこと、そしてAIや評価指標といった不完全な道具と賢く付き合うこと。
わたしの妻は「◯本飲んだのだからもう止めて」と、私の飲酒量を数値化して判断します。数字に支配される社会を疑い、指標を使いこなし、数字では測れない価値を大切にしなさいと本書では教えを説いておりました。
「数値化して俺の飲む量を判断するんじゃねぇ〜!」と今度、反論してみようとか思いましたが、心のなかにしまって今晩も静かに飲酒を楽しもうと思います。(笑)
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