逃げる中高年、欲望のない若者たち/村上龍

 村上龍さんの本は、「限りなく透明に近いブルー」「69 sixty nine」「コインロッカー・ベイビーズ」「テニスボーイの憂鬱」「ユーチューバー」「インザ・ミソスープ」「55歳からのハローライフ」「新13歳のハローワーク」「昭和歌謡全集」「オーディション」「KYOKO」「恋愛の格差」「最後の家族」「案外、買い物好き」「THE MASK CLUB」に続き、本書は16冊目のアウトプットです。

 本書は2009年から2010年にかけて書かれたエッセイをまとめた社会批評集といった感じの内容です。小説ではなく、政権交代や普天間基地問題、サッカーW杯、参院選といった当時の時事を手がかりに、日本社会に広がる不安と閉塞感を描き出しています。

 貫いているテーマは、欲望の枯渇と目標の喪失といった感じでしょうか。現代の日本では目標を追いかける者が減り、若者は自らの欲望と向き合うことから逃げ、中高年は社会や財政の破綻からただ逃げ切ることだけを考えている。

 欲望や怒りを失った状態は、ゆっくりと衰退していく国家の象徴だと著者は指摘しています。成功する、金持ちになる、有利に生きるといった目標はすでに意味をなさなくなった。

 考えるべきなのは「死なずに生き残るための方法」である、というのが本書の中心的なメッセージ。

 若者に対しては厳しい視線が向けられています。「草食系」「肉食系」という言葉は、個人と社会の欲望が退化しているという本質を隠すごまかしにすぎない。若者は欲望を持たず、死人のように見える。海外に行きたいとも車が欲しいとも思わず、何かを外部に求め、探し、出会うために努力しようとしない。

 怒りも関心も乏しく、生きるための訓練をしないまま年齢だけを重ねていく。うつや引きこもり、自殺よりは、閉塞的で希望のない草食的な生き方の方がまだましだ、という現実的な優先順位の変化も語られています。

 若者だけでなく、中高年への批判も容赦ない。バブル世代などは破綻から逃げ切ることだけを考え、若者を犠牲にしている。子育てや教育、職業訓練を放棄し、責任から逃亡し続けている。

 一方で、好奇心に満ち、いつも恋をしているような元気な老人や経営者は肯定的に描かれています。欲望を肯定し、それが現実になることでわくわくしている人が少なくなったという感慨も込めています。

 普天間基地問題では、移設先ばかりが議論され、「冷戦後もなぜ沖縄に米軍基地が必要なのか」「どんな事態を想定しているのか」という本質的な問いが放棄されていると指摘。

 政治やスポーツの話題を通じて、善戦すれば負けてもいいという甘い姿勢や思考停止も批判。日常の中から欲望や生の実感を論じる章もあり、サイゼリヤや音楽、犬の散歩といった身近な事柄が素材になる。

 社会全体で欲望が否定され、枯渇している印象が強く、復活するとは思えない。それは衰退する国家の特徴なのかもしれない、と著者は述べています。

 子供の頃はひどい時代だったが希望だけはあった、という対比もとても印象的。非正規雇用が増え、財政破綻が近づく現代との差を際立たせていると著者は説く。

 本書は単なる批判で終わらない。硬直した思考を刺激し、萎縮した心を震わせるサバイバルのメッセージを発信しています。2010年時点の観察ですが、欲望の枯渇や世代間の断絶、成功神話の崩壊といった指摘は、その後の日本社会とも重なる部分が多く、今読んでも古さを感じさせない。そんな内容でございました。

 著者が批判する中高年像として「破綻から逃げ切る」「若者を犠牲」「責任から逃亡」という言葉がありました。破綻から逃げる行為として、現状を維持してあまり挑戦していない自分。経営者として若者に希望を与えられることが出来ているのか。

 そして「責任から逃亡」。私は経営者なので会社に関することは全て責任をとらなければならないと、日頃から十分に考えているつもりですが、もっと違う些細なことでも責任を意識し、行動しなければダメなのではないか。そんなことを考えさせてくれる、そんな一冊でありました。

8月19冊目_2026年151冊目