村上龍さんのアウトプットは「限りなく透明に近いブルー」「69 sixty_nine」「コインロッカー・ベイビーズ」「テニスボーイの憂鬱」「ユーチューバー」についで本書で6冊目となります。
1997年末の東京・新宿歌舞伎町を舞台に、20歳の青年ケンジが主人公です。彼は英語が堪能で、外国人向けに夜の歓楽街(風俗店、キャバクラ、ソープランドなど)を案内するアテンドの仕事をしています。恋人の16歳の少女・ジュンとは、もっと時間を過ごしたいと思いつつも、金のために仕事を受け続けています。
年の瀬に、ケンジはフランクと名乗る奇妙なアメリカ人男性から3日間のアテンドを依頼されます。フランクは肥満体形で肌が不自然にプラスチックのように見え、言動にも多くの嘘や不自然な点があり、ケンジはすぐに違和感を覚えます。
ちょうどその頃、新宿では援助交際をしていた女子高生のバラバラ殺人事件が発生し、続いてホームレスの焼死事件も起き、社会がざわついていた。フランクの行動や所持品(血痕のついた1万円札など)から、ケンジは徐々に彼が事件の犯人ではないかと疑い始めます。
3日間の同行の中で、フランクの異常性は次第に露わになります。2日目の夜、フランクは「お見合いパブ」(素人女性が無料で飲食し、男性客と出会う店)で本性を現します。怪力と催眠術めいた力を使い、店内の客や店員を凄惨に惨殺します。
詳細な殺戮描写が続き、血みどろの地獄絵図が展開されます。ケンジも殺されかかりますが、他の人々がパニックで無抵抗に殺されていく中、ケンジだけはフランクの命令に対して明確に「No」と自分の意志を表明したため、命を助けられます。この出来事を通じて、フランクは「意思を持って生きる者」としてケンジを特別視するようになります。
その後、ケンジは恐怖に駆られながらも、フランクの要求に応じてアテンドを続け、恋人のジュンを巻き込みつつ何とか3日間をやり過ごします。除夜の鐘が鳴る頃、フランクはケンジに自身の壮絶な過去を語ります。幼少期から異常な殺人衝動を持ち、精神病院で脳の手術を受け、家族からも見放された人生だった。
物語の終盤、フランクはケンジを「友人」として扱い、別れ際に白鳥の羽を贈ります。ケンジは警察に通報するか迷いますが、最終的にフランクを逃がすような形で物語は終わります。
フランクという「怪物」との出会いは、ケンジの人生観や日本社会への見方を根本から変えてしまいます。作品は単なるサイコスリラーではなく、日本の「ぬるさ」や危機意識の欠如、意思表示の曖昧さ、無動機の暴力などを痛烈に批判するテーマも強く織り込まれているとレビューで書いている人がいましたが、確かに当たり前の様に過ごせている日常に、もっと感謝する必要があるのではないかと、そんなことを考えさせられました。
ミソスープのように曖昧で包み込む日本の社会が、フランクのような異物にどう向き合うのかを描いた、衝撃的で考えさせられる一作です。村上龍得意のグロテスクな描写が多いので、その手の苦手な方は遠慮したほうがいいかも知れません。
読んでいる最中は気が付きませんでしたが、アウトプットしようと思い、本の表紙の写真を撮ろうとして気が付きました。表紙の男、気味悪すぎます。フランクをイメージした感じなのでしょうか。本当にこんな顔の外人に仕事を頼まれたら、ケンジが最初からフランクに対して抱いていた、違和感というか恐怖がとても理解出来るような気がします。
小説を読んでから表紙を見て、妙に納得というそんな体験をしたのは初めての様な気がします。それくらい「装丁(そうてい)」というものは大事なものなのではないか。そんなことを感じさせてくれた一冊でありました。