本書は太平洋戦争におけるアメリカの行動、特に原爆投下と無差別爆撃について、戦後日本でタブー視されてきたという「アメリカの戦争責任」を正面から論じています。
戦後日本では日本の戦争責任が繰り返し議論される一方、原爆投下や東京大空襲などのアメリカによる民間人大量殺戮はタブーであり、触れる者さえ社会的に抹殺されてきた。これを直視しなければ、真の平和や日米関係の深化は不可能だという。
アメリカの教科書や公式見解では、原爆投下を「戦争終結を早め、アメリカ兵100万人の命を救った」と正当化する。しかし、これは後付けの理屈であり、犠牲者数の推定も実際の数字より誇張。
ポツダム宣言から天皇制維持の条項が意図的に削除された背景には、米ソの駆け引きがあったという。ヤルタ会談でソ連の対日参戦を約束させた後、原爆成功でソ連抜きで終戦可能になったアメリカは、宣言を曖昧にし、日本を即時降伏させず、原爆使用の機会を確保した。
日本が降伏を決意した決定的要因は原爆投下ではなく、ソ連の参戦による絶望感であった。昭和天皇の終戦指示もソ連参戦後の御前会議で下された。原爆投下や無差別爆撃は国際法違反の明確な戦争犯罪であり、軍事的な必要性を超えた民間人虐殺。アメリカはこれを認めず謝罪しないが、日米が互いの過ちを直視してこそ、真の友好関係が築かれるはずだと著者は説く。
著者はアメリカ批判を目的とするのではなく、歴史的事実に基づき両国が向き合うことを提唱しています。戦後80年を超えた今も、このテーマは忘れず議論をするべきだという。
ポツダム宣言もヤルタ会談もなんとなく聞いたことがある程度で、はっきりと人に話せるほど理解は出来ていない。せっかくなので、調べて簡潔にアウトプットしたいと思います。(笑)
ポツダム宣言とは、1945年7月にアメリカ・イギリス・中国が日本に無条件降伏を勧告した宣言で、軍国主義の排除、民主化、領土制限などを求めました。日本はこれを8月14日に受諾し、翌15日の「玉音放送」で国民に敗戦が伝えられ、第二次世界大戦が終結しました。この宣言は「米英支三国宣言」とも呼ばれ、戦後の日本処理方針の基礎となった。
ヤルタ会談とは、ヤルタ会談は1945年2月、第二次世界大戦末期にアメリカ(ルーズベルト)、イギリス(チャーチル)、ソ連(スターリン)の首脳が会談し、戦後処理の基本方針(ドイツの分割管理、国際連合設立)と、ソ連の対日参戦(極東密約)が話し合われました。この会談で決定された国際秩序は「ヤルタ体制」と呼ばれ、後の東西冷戦の端緒となった。
ヤルタ会談(1945年2月)はソ連の対日参戦を約束させるための密約(ヤルタ協定)で、これがポツダム宣言(1945年7月)の背景にあり、宣言が日本に無条件降伏を迫る中でソ連の対日参戦を促し、最終的にポツダム宣言受諾(8月15日)と終戦へと繋った。ヤルタ会談の「3ヶ月以内」という条件が迫る中、原爆投下とソ連参戦が決定的となり、日本はポツダム宣言受諾を決定した。
終戦のきっかけとして、原爆だけがとてもイメージに残っていましたが、ソ連参戦というそんな背景はあまり知らなかったので、少し利口になれて良かったです。(笑)