沈鬱の平成政治史_なぜ日本人は報われないのか? / 倉山満


 平成政治史というタイトルですが、昭和の田中角栄あたりから始まり岸田まで。総理大臣になった経緯や、まつわるエピソードがたくさん紹介されています。

 50代半ばの私が覚えているのは、福田赳夫からです。在籍期間は、昭和51年12月24日~昭和53年12月7日なので、私が小2〜小4なのでそんなもんでしょう。笑

 せっかくなので、本書に登場した総理大臣を順番に書いておこうと思います。田中→三木→福田赳夫→大平→鈴木→中曽根→竹下→宇野→海部→宮澤→細川→羽田→村山→橋本→ 小渕→森→小泉→安倍→福田康夫→麻生→鳩山→菅直人→野田→安倍→菅義偉→岸田。

 皆さんはどれくらい覚えているでしょうか。こうやって書いてしまえばわかりますが、記憶の中でスラスラ出てくる人は、そうそういないでしょう。笑 

 本書で印象的だったことを列記します。

 田中角栄の影響力があって、三木、福田、大平、鈴木、中曽根は、ほぼ田中が決めた。その中で総理になる準備が出来ていなかったのが鈴木だったという。所信表明で原稿を2枚飛ばして読んでしまい「鈴木減稿」というあだ名がついたという。

 野田総理ではなく、馬淵が総理になっていたら・・・まだ民主党は生き残っていたかも知れない。笑

 自分が総理大臣のとき「次にお願い詐欺」だらけの歴史の中で、ちゃんと実行したのは「小泉→安倍」だけだという。

 第一次安倍内閣の総裁選のメンツが、安倍・石破・石原のとき。党内の流れは「石原伸晃」に決まっていた。その渦中にいた石原伸晃は、総裁選の最中に失言で失速して行く。福島の汚染された土壌の保管先について「福島原発第1サティアン」という始末。

 この記事を探そうとして検索したら、今回の総裁選で小泉が失速した状況に、2012年の石原によく似ていると例えられていました。(笑)

 石破が総裁選に負け続けたのは、自民党が野党になった時は逃げ出して、与党になったら戻って来たからだとか。

 とても興味深く、読ませて頂きました。そしてちょいちょい登場する小沢一郎です。平成前半の日本は、小沢の企みにまぁまぁ右往左往されていたことを、あらためて再認識出来たのはとても有意義な一冊でありました。

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