鼻の長さが5、6寸もありアゴの下まで垂れ下がっている僧侶の話です。
鼻の長さは気になるが、自分は気にしていないかのように、周囲には振る舞っていた。食事の際には、お椀に鼻がつくので、弟子に板で持ち上げてもらっていた。その弟子がくしゃみをした時、鼻を粥の中に落としたことがあり、その話が世間でたいそう話題になった。僧侶は強がってはいるが、自尊心が削られていく。
鼻の長さを短く見せるため、顔の角度を研究したり、自分と同じような鼻のものがいないか探したり、本を読んだりするが、自尊心を回復するには至らない。
ある年、弟子が中国から渡ってきた医者から鼻を短くする方法を教わってくる。その方法は、
「湯で鼻を茹で、人に踏ませる」
ここまで読むと完全にコメディです。笑
弟子に負担をかけていることもあり、僧侶はその方法を実行する。
湯を沸かして鼻を入れる。そして弟子に踏んでもらう。
鼻は感覚がないのか、痛みは感じないのだという。
しばらくすると粟粒のようなものが出てきて、それを毛抜きで抜く。
鼻パックで取れるようなヤツが、大量に取れる感じなのでしょうか。笑
そして、もう一度茹でると鼻は短くなっていた。
スゴイ!!!笑
翌朝に自分の鼻を触り短いのを確認して爽快な気分になる。
しかし周りの人々がこれまでにもまして、自分の鼻をあざ笑いしていることに気づく。そんな周りの変化に対して、イライラが溜まって弟子たちに仕打ちをするようになる。
ある夜のこと、寒さで寝付けないでいると鼻だけ熱くなり、そして痒くなる。翌朝、目を覚ますと鼻は元の長さに戻っていた。鼻が短くなった時と同じような、爽快な気持ちになり、もう誰にも笑われないはずと、心の中で囁やくが果たしてどうなるのか。笑
文学というか、なんとなく日本昔話に出てきそうな展開です。笑
他人の不幸に同情しない者はいない。
しかし、その不幸をどうにかして打開できると、今度は、物足りないような気持ちになる。また不幸に戻って欲しい気にさえなる。他人の不幸を喜び成功を妬む。
SNSなどに見られるように、それを隠さないどころか公に出す人も珍しくない。
鼻が縮んでまた伸びて。
それに対する本書で伝えたかったことは、
「傍観者の利己主義」だという。
夏目漱石が『鼻』を絶賛したのは、
芥川が利己主義を描く天才だったからだという。
「利己主義」
調べればこう書いてあります。
自分の利益や自分の立場だけを考え、他の人や社会一般のことは考慮に入れず、わがまま勝手にふるまう態度。 身勝手。 エゴイズム。
私には「日本昔ばなし」的に感じましたが、中身は深いようです。大変勉強になりました。笑
07 th in August / 223 th in 2023