事故が起きた1985年
遺体確認捜査の責任者として127日間。
身元確認捜査に従事した著者。
警察を退職後の1996年に書き始め、
2年後の1998年に刊行。
現場から運ばれた遺体とそれを取り巻く、
過酷な作業環境、人間関係、そして時間経過。
現場最高責任者。
そんな当事者からの立場で綴られています。
遺体収容開始前に、「遺体の区分」について決めたと言う。
完全遺体。
五体が揃っている場合のほか、アゴ等の一部が残存している死体または死体の一部(頭部の一部分でも胴体=心臓部=と首でつながっている死体)
離断遺体。
頭部、顔面、または下アゴ部の1部がすべて離断している死体及び死体の一部(頭部と胴体部が完全に離れている死体)
「遺体の区分」を聞いただけで驚愕です。
身体の中央部で180度ねじれ、腰椎も真っ二つ。
腹部の皮膚でやっとつながっている少女。
焦げた肉の塊のついた腕。
肉片の中から舌と数本の歯、頭蓋骨の骨片が出てきた。
それらを丹念に広げて行くと、
折りたたんだ紙細工のお面の様に、
顔面の皮膚が焦げも出ずに現れた。
2歳くらいの幼児。
顔の損傷が激しく、半分が欠損。
それなのに腰には可愛いおむつがついている。
お母さんのお腹から飛び出し、土の中から見つかった胎児。
頭の中に頭がめり込み、目玉が3つ存在する頭部。
遺体の説明を見るだけで、想像がつかないくらい、
壮絶な現場だったことでしょう。
身元確認するために、集める機材、
そして警察官、医師、歯科医、看護婦など集める人材。
外部から応援する地元のおばちゃんボランティア。
時間経過と共に、疲弊していく人間達。
そして真夏の過酷な環境。
真夏で遺体の痛みが激しく、ウジとの戦い。
そして外部の人間と接触を拒む、強烈な匂い。
汗で小便はほとんど出ずないが、トイレは嘔吐するためにあった。
そんな記述もありました。
肉親が面接してはっきりと確認できる遺体は、520人中60人と9人に1人程度。
墜落遺体の損傷は凄まじく悲惨。
飛行機事故だけでは死にたくない。
そう強く強く。思い知らされました。
遺族から掛けられた言葉でこんなことがあったといいます。
「今まで税金を収めるのが嫌だったけど、警察の人がこんなに頑張ってくれるんだったら、これからは喜んで税金払う。」
労働の対価として賃金はあるわけですが、それでは語り尽くせない、使命感。
すごく考えさせられました。
「単独飛行機事故では世界最大」忌まわしい記録を更新している日航123便事故この様な悲惨な事故は絶対起こしてはいけない。
そのことだけは、誰も感じ取れる本だと思います。
大変勉強になりました。
だいすけ@190dai.com
新しモノ好き。ガジェット大好き。 平成元年から小さい建設会社。今は社長です。小さい会社なので、営業的なことや技術的なこと。除雪もします。ガジェット、カメラ好きが講じ、ネットやPC、Drone好き。外食する時や夜の会合なども多いので、食べ歩きやガジェット。仕事のこと。読書。そして地元のコトを中心に書いて行こうと思います。
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