中森明菜の真実/渡邉裕二

 花の82年組といわれた、中森明菜、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、松本伊代、石川秀美、そしてシブがき隊。中森明菜は松田聖子 と並んで80年代を代表するアイドルとなったが、二人の方向性や歩んで行く道は全くと言っていいほど相違していた。

 曲調やキャラも含めて、独自の路線でブレない松田聖子に比べて、中森明菜は様々とチャレンジをしていく。デビューから全盛期まで、その曲が生まれた背景や売り出し方。本人の葛藤やまわりで起きた様々な出来事。

 世代がど真ん中なので曲の全て、メロディーはもちろん歌っている姿も含めて頭に浮かぶものばかり。その華やかな私の知る世界の裏では、こんな事が起きていたのか。とても興味深く読ませて頂きました。

 デビュー曲は、「スローモーション」次は「少女A」「#セカンドラブ」「1/2の神話」「トワイライト -夕暮れ便り-」「禁句」と続いていく。

 バラード系 とツッパリ系 を交互に繰り出しています。ツッパリ系だけで攻めて、イマイチだった三原順子 の失敗を参考にしたという。(笑)

 そして後に繰り出される名曲の数々は、中森明菜を「歌う兼高かおる」にする。そんなイメージで曲が制作されていたという。若い人は知らないと思いますが「兼高かおる世界の旅」という番組が昔あって、旅行ジャーナリストの彼女が、世界中を旅し現地を紹介するような番組がありました。

 今でこそ当たり前の様に海外旅行が出来たり、テレビで頻繁に海外の情報を知れる時代では無く、わたしも彼女の紹介する海外をとても新鮮に感じたのを覚えています。そう言われると「Sand Beige 砂漠へ」「ジプシー・クイーン」「ミ・アモーレ」「TANGO NOIR」あたりは確かに、どこか世界を旅する雰囲気を感じられるような気がします。

 それにしても、本書は印象的すぎる様々なエピソードが盛りだくさんです。事務所から提示された芸名は「森アスナ」で明菜本人が必死に拒否したとか。

 高校の面接で尊敬している人はという質問に「矢沢永吉」と答えたから落ちたとか。新曲を決める過程では200曲くらいの中からコンペ形式で選んだとか。

 井上陽水 が明菜に惚れ込んで持ってきたのが「飾りじゃないのよ涙は」自分でデモテープを吹き込んでいたとか。竹内まりあ が持ち込んだ「駅」は、そのまま発売できそうなクオリティだったが、明菜が自分色を出して歌ったものを聞いた山下達郎 が怒ったとか。

 「北ウイング」と「サザン・ウィンド」は韻を踏んでたとか。「1/2の神話」は最初「不良1/2」という曲名だったが、NHKからダメ出しされて忖度したとか。

 「少女A」の「A」は明菜の「A」だと言って歌うのを嫌がったとか。デビュー直後、作詞を依頼された松本隆 は明菜の才能を感じていて、自分が関与している松田聖子と競合すると思って断ったとか。

 大した中森明菜を好きでもなかった私にとっても最高楽しむことが出来ました。ついでに、こんなことが書かれてありました。

 「ノストラダムスの大予言」は実は明菜の芸能活動を予言したんじゃないか」人類が滅亡しないで済んだのは、中森明菜のおかげなのか!?(笑)

 最近ネットでちらほら見かけるようになりましたが、このままメディアに露出しないまま、生涯を過ごすのでしょうか。年齢はそれなりになっているでしょうが、テレビで歌う姿を見たいものですね。