目撃証言 ヘヴィ・メタルの肖像 /伊藤政則

私と同年代で、メタル好きなら知らない人はいないだろう。

岩手出身の著者。

高校生のときに、地元のIBCラジオの番組にこまめにリクエストはがきを送っていたという。1971年、番組の公開生放送に参加するために、IBCのスタジオを訪れとき、ディレクターにこう言われたという。

「キミが伊藤君か! いつもリクエストはがきをありがとう。洋楽は伊藤君、邦楽は天野君が一番だよ!」

天野君とは翌1972年にフォーク・グループのNSPを結成した故・天野滋氏だったという。笑

こんなエピソードが紹介されていました。

著者がボン・ジョビに会いに行った時、後ろで横になっていた女がいたという。挨拶をしろと彼に起こされ、著者はその女とハグしたという。

その女の名は、ダイアン・レイン

著者が1週間前にみた映画「ストリート・オブ・ファイアー」で主演を演じていた女。

私もこの映画は溜まり場の友人宅にビデオがあったので、よく覚えている。自分の見た映画の主演女優とハグするなんて、さぞかし高揚したことでしょう。

ウィキにはこんな記述があった。

取材規制が最も厳しいとされるガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズへのインタビューに成功した日本人ジャーナリスト5人のうちの一人である。

最初に成功したのが著者で、この時の様子も描かれています。笑

そして今日から映画が公開される「ランディ・ローズ」

私はあまりオジーを聞かなかったので、印象深くは無いが、メタル好きなら知らない人はいない伝説のギタリストです。知らないことが書いてあったのでメモしておきます。笑

ランディがオジーに加入する前、所属していたのは「クワイエット・ライオット」アルバムは日本でのみリリースされていた。ベイ・シティ・ローラーズが大ブレイクしていた時期でもあり、どこのレコード会社もルックスのいいポップなバンドを探しており、クワイエット・ライオットはハード・ロック・バンドという立ち位置とは微妙に異なる、ルックスのいいアイドル・バンドとして日本市場へ紹介されることになったという。

そして死んだのは飛行機事故。そんな認識しかありませんでしたが、その時の様子が詳細に綴られています。

ツアーでバス移動の途中、フロリダ州リースバーグにあるツアー・バス会社の本部に休憩のため立ち寄った際に、パイロットのライセンスを持っているバス運転手が、会社の所有するセスナ機で遊覧飛行をしようと言い出したことで、悲劇は始まった。ランディと衣装係のレイチェル・ヤングブラッドはその誘いに乗り、2人を乗せたセスナ機は飛行場を飛び立った。しばらく上空を旋回した後、パイロットはバスで寝ているメンバーやスタッフを驚かすために2度、3度と低空飛行を試みた。すると、翼の先端がバスに接触。バランスを失ったセスナ機はそのまま近くの民家のガレージに墜落し、瞬く間に炎に包まれた。その爆音に驚いたスタッフ数名が慌てて消化器を持って駆けつけたが、そのかいなく3人は死亡。ランディは25歳の若さで亡くなった。

冗談半分のいたずらをしようとして、起きた事故ではないか。なんとも無念ですね。

オジー・オズボーンとランディー・ローズ。マイケル・シェンカーとルドルフ・シェンカー。ラットのロビンやウォーレン。W.A.S.P。ガンズ・アンド・ローゼス。アイアンメイデン。ジューダス・プリースト。エアロスミス。メタリカ。そして親交ぶりがすごいボンジョビなど。

学生時代から20代の頃によく聴いていた、バンドの名前やアーティストなど沢山出て来て来ます。先に上げたアーティストたちと、日本人で初めて接したのは著者であったという事実。そしてヘヴィメタルの黎明期のムーブや緊張感など、すごし疑似体験出来たような気分にさせられ、非常に懐かしく、そして興味深く読ませて頂きました。

21 th in November / 326 th in 2022