終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、敗戦から70年が経過した日本。双方を重ね合わせることで、あらためて戦後ニッポンの歩みを検証・考察した、新感覚の現代史といった感じのタモリ本という感じです。
タモリとは「日本の戦後」そのものだった? 本書はタモリの足跡を通して、戦後ニッポンの歩みを振り返っています。なぜ、タモリを軸としているのか。
それはまず何より、彼が1945年8月22日と、終戦のちょうど一週間後に生まれ、その半生は戦後史と軌を一にしているからだという。
本書は、タモリと時間を共有した、著名人もたくさんとりあげています。また多くの場所が登場します。大学、ジャズ喫茶、ボウリング場、酒場、生放送のスタジオなど。
タモリが各時代ごとにすごした場所をたどり、そこでの人間関係をひもときながら、戦後という時代を描き出そうといった感じでしょうか。
タモリさんは「笑っていいとも」に代表されるような、絶対的な司会者というイメージがあります。しかし、初期の芸は、ブリーフ一丁でイグアナの形態模写をしたり、デタラメ言語「ハナモゲラ」など、近い身内からはとてもウケていたが、みな口を揃えてテレビ向きではなく、みんなでカネを出し合って、自分らの宴会用に囲ったらいいのではないか。そんなことも考えていたというようなエピソードが綴られています。
wikiには、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられており、タモリ本人は当時を「今で言えば江頭2:50が出てきた様なもので、江頭よりもっと気持ち悪がられていた」と評していると書かれていましたが、当時をなんとなく覚えている私からしても、そんな印象は確かにある印象です。
タモリと赤塚不二夫が深い関係だったのは、赤塚不二夫の弔事をタモリが行ったことが報道され少しは知っていましたが、本書を読んでそれをもっと深く知ることが出来ました。
タモリは、1975年頃、新宿の飲食店で宴会芸を披露していたタモリを、赤塚不二夫がスカウト。赤塚不二夫に才能を見出され、彼の家に居候しながらデビューのきっかけを掴んだ。赤塚の葬儀では、タモリが「私もあなたの作品の一つです」と弔辞を読み、二人の絆の深さを表した。亡くなる数年前、二人は互いの弔辞を事前に読み合う約束をし、赤塚夫人が録音していたという。
タモリが駆け出しの頃をなんとなく覚えている世代の自分と、タモリと戦後という歴史を読み解くことにより、まさに自分は年をとっているんだな。(笑) そんなことをとても考えさせてくれる本書でございました。