著者の本は『新編 泣けるプロレス (いま伝えたい、名レスラーたちの胸が熱くなる28の話) 』『さよなら、プロレス(伝説の23人のレスラー、その引退の真実と最後の言葉)』に続いて3冊目ですが、知っていることも結構ありましたが、前書で登場しなかったプロれる会の印象的なエピソードを「平成の30年」のくくりで時系列に紹介しています。
平成元年、新日本プロレス、初の東京ドーム。アントニオ猪木の参議院選挙当選。
平成2年、新日本プロレス東京ドーム大会に全日本プロレス参戦。三沢光晴タイガーマスクを脱ぐ。天龍源一郎のSWS参加。大仁田厚有刺鉄線電流爆破マッチ開始。
平成3年、UWFが3派に分裂。新日本プロレス「G1 CLIMAX」開催。
平成6年、ジュニアヘビー・オールスター「SUPER J -CUP」スタート。
平成7年 、新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争勃発。
平成9年 、nWo JAPAN活動開始。『PRIDE1』髙田延彦vsヒクソン・グレイシー。
平成10年、アントニオ猪木引退。
平成11年、小川直也vs橋本真也“1・4事変”。ジャイアント馬場死去。前田日明引退。
平成12年、ジャンボ鶴田死去。三沢光晴「NOAH」旗揚げ。
平成14年、武藤敬司が全日本へ移籍。
平成15年、長州力「WJ」旗揚げ。
平成16年、 エンターテインメント・プロレス「ハッスル」誕生。
平成17年、橋本真也死去。新日本プロレス、ユークスの子会社に。
平成21年、三沢光晴死去。
平成23年、オールスター戦「ALL TOGETHER」開催。
平成24年 、新日本プロレス、ブシロードの子会社に。
平成25年、小橋建太引退。
平成27年、天龍源一郎引退。
平成29年、高山善廣、頸髄完全損傷。
平成30年、中邑真輔、レッスルマニアでWWE王座に挑戦。
せっかく読んだので、時系列で目次を要約してみましたが、これを見るだけでもプロレスファンにはたまらない内容でしょう。笑 せっかくなので2つ書き留めておこうと思います。
1つ目は小橋建太の引退です。小橋と三沢は同じ主治医に見てもらっていて、主治医のこんな言葉で引退を決めたという。「死ぬ前の三沢さんより首の状態が悪いです。」引退に対して小橋はこう述べた。「馬場さんも、鶴田さんも、三沢さんも出来なかった引退試合が出来て幸せです。」引退を決断していなければ、小橋も三沢の様に事故死する羽目になったのかも知れない。
2つ目は猪木の引退エピソードです。猪木の引退セレモニーに現れた、前田はこんな言葉を語った。「長い間、お疲れ様でした。力道山が亡くなって、日本のプロレス界が低迷していた時期、誰も試みなかったことをやって、文字通り、人柱になった人だったのだと思います。自分とは色々、意見の衝突とかあったんですけど、猪木さんのそばにいたからこそであって、自分も色々なことを考え、思うことが出来たと思っています」前田はこの翌年引退。猪木が前田と火花散る唯一の一騎打ちをした年齢だったという。
猪木引退後の新日における〝ポスト猪木〟。いまいちぼんやりしていた印象がある。しかし、猪木は、翌日発行の東京スポーツに寄せた手記で、明確にその答えを出していた。 『わたしの後継者は、前田だと考えていた』
この時の前田はUWFからの出戻り組です。そんな前田に後継者を臨んていたなんて知らなかった。最近、プロレス本を読みまくっているせいか、もう頭がぐちゃぐちゃになってきました。笑
03 th in December / 307 th in 2023