津田梅子: 明治の高学歴女子の生き方 / 橘木俊詔


 津田梅子関連2冊目。日本女性の知的解放に生涯を捧げた人生。明治初期、わずか7歳で日本初の女子留学生として渡米。帰国後、母国の男尊女卑の姿に新たな女子教育の必要性を感じ、アメリカの大学で学び直して、女子高等教育の発展に尽力。生涯独身を貫き、そのキャリアを全うした梅子。良妻賢母が当たり前だった時代に、高学歴女子はどのような人生の選択を迫られたか。現代女性の生き方と照らし合わせながら論じてあります。

 2冊目ですが、実はもう1冊も読了済みで実際は3冊目なので、流石に知っていることだらけでございました。本書は梅子だけではなく、山川捨松、永井繁子の話も結構な量が書かれていますが、「津田梅子ネタでは1冊分は書けなかったのだろう」と書いてあるレビューを見かけましたが、それも一つの理由なのかもしれません。笑

 あとがきに、このようなことが書かれています。

 津田梅子、大山捨松、永井繁子で代表される三種類の生き方、すなわち(1)独身のキャリア志向、(2)専業主婦、(3)共働きと家庭人、を知ることによって、それが現代においても高学歴女子の生き方の選択につながっている、と認識してほしい点である。現代の高学歴女子も明治時代がそうであったように、この選択で苦悩している。その現状がどうであるかを報告して、読者の参考に資したいと希望する。

 幼少のときから海外に出て学んでも、同じキャリアになるわけではなく、三人三様になりました。これが男であれば似たような境遇になるのかもしれない。先日読んだ「高学歴難民 / 阿部恭子」という本を思い出しました。

 梅子や捨松が帰国後、何をやったら自分は国に恩返しできるのか。そんな葛藤をしたように、学べば学ぶほど自分の理想が上がって行き、現実とのギャップを受け入れられなくなっていく思想は、男性より女性のほうが顕著に現れて来るのかもしれませんね。

 捨松の容姿端麗な記述がたくさん書かれています。前書で書きましたが、留学に行くとき、親から「捨てたつもりで待つ」と「さき」から「捨松(すてまつ)」に改名された女の子です。

 捨松は学業成績の優秀さのみならず、性格も明るくてかつクラスの中で積極的な言動をするので、人気者でもあった。しかも東洋人というもの珍しさ、加えて美しい容姿を持っていたので、アメリカ人学生の中でも目立った存在であった。特に日本の着物を着てみんなの前でスピーチをする姿は皆の称賛を浴びた。日本に帰国後に「鹿鳴館の華」と称されるようになる素地は、既にアメリカ在住中から芽生えていたのである。

 捨松のあでやかな着物姿と、演説の素晴しさは1882(明治15)年6月のヴァッサー・カレッジにおける卒業式で発揮された。三九名の卒業生の中から一〇名の代表の一人として選ばれ、「イギリスの日本に対する外交対策」というテーマで演説をした。美しい着物姿が賞賛され、当日一〇名の卒業生の演説の内、捨松の演説がもっとも卓越したものであった、と地元の新聞で報道されたのである。なんと、捨松の演説が「ニューヨーク・タイムズ」や「シカゴ・トリビューン」という高級紙で報道された。

 ネットで検索すると、なかなかのべっぴんさんです。見た目が良いからと言うわけではありませんが、せっかくなので、読書の連鎖で何か関連書籍でも読んでみようと思います。笑

6月13冊目_2024年128冊目