著者は曹洞宗徳雄山建功寺第18世住職。 庭園デザイナー、多摩美術大学環境デザイン学科教授。 2006年『ニューズウィーク日本版』の“世界が尊敬する日本人100人”に選出された人らしい。
現代人に共通する特徴のひとつは、男女、年齢を問わず「持ちすぎている」物に限らず、情報も抱えきれないほど、持っている。スマートフォンなどに代表されるような、短期間に次々と新しい商品が発売され、巧みに購買意欲をそそられ、「持ちたい」という思いに刺激を受ける。
日本は人口減少が危ぶまれているのに、新築の戸建住宅やマンションのCMもなくならない。「マイホームを建てたい」「電気自動車に買い替えよう」それらは、本当に必要なのだろうか。
「持つ」ことは苦悩の始まりだという。それは家族、恋人、親戚、ペットに始まり、友人、上司、同僚との人間関係も一緒であり、すべてを捨て去ることはできないかもしれないが、持ちたいという欲望には限りがなく、それが執着や不安などの「苦」をもたらしている。過不足がないことが心地よいことだという。
「無一物中無尽蔵」
何も持っていない、何もないところに、あらゆる可能性が広がっている。
それまで自分を縛っていたもの、枠となっていたものは、幸せや喜びの源だったかもしれない。それが失われた悲しみも、寂しさも、切なさもあるかもしれない。
しかし、それがなくなったことは、縛りや枠から心が、魂が自由になったこと。命がリセットされたといってもいいかもしれない。そして、そこには無尽蔵の可能性がある。
命さえあったらさまざまな可能性に挑戦できる。
何も持たないという、命の本来の姿で第一歩から歩き始めたらいい。何かを手放したり、失ったりすることが、人生には幾度となくある。挫折感や喪失感と無縁の人生などない。
そんなときこそ立ち戻り「人は裸の命から生き始めた」と考える。人生において苦しいときでも、 命さえあれば前に進むことができるという。
とても深いお言葉でした。笑
自分も本書で学んだ「禅的思想」を少し参考にして、酒ばかりに頼らず、日常の苦悩をやわらげたいものですね。笑
02 th in September / 245 th in 2023