保守派として、さまざまな著書をもつ、橋本琴絵さんですが、Xなどでは見かけていましたが、本書が初めての読書となります。著者の思想や社会問題の、さまざまな方面から主張されています。
現代日本の社会問題や政治、歴史認識、ジェンダー問題などについて、保守的な視点から鋭く切り込んだエッセイを交えながら論じている感じです。
「保守派の視点」としては、日本社会の「左傾化」や「ジェンダーフリーの暴走」に対する批判が中心になっており、日本の伝統文化、家族観、皇室の重要性を強調し、現代の価値観の変容を「正気ではない」と問題視。核武装や自衛力強化を訴えています。
ジェンダー問題やLGBT、同性婚に否定的な立場を明確に打ち出し、「日本社会の破壊」と関連付けているくらいです。
著者は、被爆三世として、祖母から語られた経験や6児の母としての視点から、日本の将来や家族観について強い危機感を持ったことが、本書の執筆動機につながっており、著者が「日本も核武装するべき」という論調がとても印象的でありました。
昭和20年8月6日、祖母が広島で被爆した。生前、日本が原爆を投下されたのは「新型爆弾を持っていなかったから」と話していたのを覚えているという。
原爆の日が近づくと「平和教育」として、熱線を浴びて人間の眼球が溶けるシーンが挿入された戦争アニメを見せられた。「戦争は怖いと植え付けられたが、でもどうすれば戦争を回避できるのか、先生は教えてくれなかった」
中には、共産主義国家だったソ連の核実験は平和利用で、米国の核は戦争目的だと主張する教員もおり、子供心にも違和感がぬぐえなかった。今となっては、特定のイデオロギーを受け入れさせるための「思想統制だったのでは」とすら思っているという。
実際、広島でも反核や非核一辺倒ではない。ただ、幼少時の刷り込みにも似た教育が、核抑止に関する議論すら封じる一種の圧力的な空気の醸成に寄与したのでは無いか。
非核三原則とともに戦後80年間は、日本に原爆を投下されなかったことにすがりつくあまり、反核だけが「是」とされ、核抑止の議論が封殺されてきた。その上で「迫る対外的な危機に目をそむけ、観念的に核廃絶を唱えても、わが国の平和と安全は得られない」という。
ウクライナにロシアが侵攻し、いまなお紛争は続いている。はたしてウクライナが「核保有」していたら、ロシアはウクライナに侵攻したのだろうか。仮に、この紛争により、ロシアが「国境を変更できるという成功事例」を手にしたら。中国はどの様に感じるのか。自分もそれを実行しようと思うのではないか。
台湾有事になれば日本は大変なことになると、さまざまな本では書かれているが、沖縄は大丈夫なのか。北海道は大丈夫なのか。それを同時にやられたらどうなるのか。日本人として、とても危機感を与えてくれる内容でありました。
私も含めた日本人は、核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないという「非核三原則」を子供の頃から頭の中にすり込まれている。著者は「非核を唱えるだけで国を守れるはずがない。妄信は捨て去るべきだ」という。戦後80年も経った今でも、はたして「非核三原則」は、正しいのだろうか。そんなことを、とても考えさせられる本書でありました。