学歴社会は誰のため / 勅使川原真衣

 学歴不要論など、よく議論されることではありますが、なぜ学歴社会はなくならないのか。誰のために存在するのか。背景にあるのは、「頑張れる人」を求める企業と、その要望に応えようとする学校の「共犯関係」だという。

 人の「能力」を測ることに悩む人事担当者、学歴がすべてではないとわかっていても、同じ土俵に立たせると、学歴の高い方が選ばれるという現実が存在する。

 つい学歴を気にしてしまう読者に向け、教育社会学を修め、企業の論理も熟知する組織開発の専門家が、学歴社会の謎を解説していますが、著者も東京大学卒らしい。(笑)

 学歴は努力の度合いを測るものとして、機能してきた。努力したからいい大学に入れた。きっと仕事でも努力してくれるだろう。そんな尺度として存在していた。

 「勉強しないと、いい会社に入れないよ」何十年も前からいわれている言葉です。現代のように多様化した社会では、学歴がないから成功できないとか、そんな時代ではなくなっているのは確かです。

 前に「高学歴難民 / 阿部恭子」という本を読みました。この本のアウトプットには、こう書かれていた。

 ごく普通に、学歴が高いと安定した高収入になれると大抵の人は思っている。しかし、本書はそんな学歴が高くても、社会に打ち解けれないと言うか、適合出来ない人たちが、たくさん紹介されています。高学歴なのに、社会に適合が出来ないというより、社会に適合しにくい人が勉学に励んで高学歴になってしまった。そんな印象でしょうか。もっと学びたい。世間では良しとされることが、高学歴難民が墓穴を掘っていく。そしてそれを支える家族も、結末が予想できないまま、「もっと学びたい」を後押しする。

 私は高校卒業後、建設系の2年生の専門学校に行ってから、かれこれもう37年も建設業界にいます。私の行った専門学校は、名門どころかもう廃校しました。それでもなんとか、毎日酒を飲んだり、いろんな本を読んだりするくらいは稼げているので、なんとか維持できるよう、これからも精進しようと思います。