巨人軍vs落合博満 / 中溝康隆

 1993年12月、40歳落合博満のFA移籍は事件だった。巨人にとって落合がいた3年間とは何だったのか。40歳で巨人へ電撃移籍した落合。推定年俸は当時球界最高の4億500万円。「残念ですね」「とても4億円の値打ちはない」巨人軍OBから猛批判の声が挙がる。OBもマスコミもみんな落合に冷たかった。

 落合は入団した際、「巨人はこんなに練習しないのか」と思ったという。しかしそんな40歳の落合は巨人を引っ張っていく。その裏で、出場出番が減っていく原辰徳との確執。後に監督同士で、巨人と中日が接戦を繰り広げると思えば、このときの二人の関係性はとても興味深い。

 私は覚えていないが、落合博満と松井秀喜には「不仲説」があったという。しかし、二人はいつも試合後、ふたりきりで風呂に浸かり、様々な野球についての話をしていたという。事実、松井は落合の影響が大きかったと語っているという。

 そして清原がFAで巨人に来る際の、球団と落合のやりとりがとても興味深い。「清原は自分が復活させてみせる」落合はそう言っていた。しかし、清原が来ると長嶋監督が困ると思うので、自分は巨人を去るといい、日ハム移籍した。

 落合さんが登場している本はたくさん読みましたが、一番印象が残っているのは、鈴木忠平さんの「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」です。私が読んだ野球関連の本では自信を持って、ナンバーワンに上げたい本書です。

 先日読んだ「ミスタードラゴンズの失敗 / 江本孟紀」には、立浪はコーチ経験と、苦労が無いから、監督として成功できなかった。そんなことが書かれていましたが、落合もコーチ経験は臨時コーチ程度しか経験しかないが、中日の監督として素晴らしい実績を残した。
 落合の苦労というか、浴びせられた罵声から始まり、これでもかという苦悩。そんな経験が、中日監督落合の素晴らしい実績につながったのではないか。そんなことを考えさせてくれる本書でありました。

 「苦労は買ってでもしろ!」そんなことは昔から言われている。私ももっと、苦労やヒドイ試煉。そんな経験をもっとすすんでするべきではないのか。様々な本には書いてある。「迷ったら大変そうな方を選べ!」。明日が大変になるかもしれませんが、「もう飲まない」ではなく「もっと飲む」という、大変な方を選択しようと思います。(笑)