おいしくて泣くとき/森沢明夫

 無料で「こども飯」を提供する「大衆食堂かざま」店のオーナーの息子・心也は、怪我で大好きなサッカーができなくなり、中学最後の夏休みを前に晴れない気持ちを持て余していた。

 そして心也は、時々こども飯を食べにくる同級生のことを気にしていた。一人は夕花。クラスから疎外され、義父との折り合いも悪い。もう一人は金髪パーマの不良、石村。

 その二人をからめた友情と恋心、夏の逃避行。大人たちの深い想い。そして別れから、年月を経てからの感動の再開。

 「子ども食堂」から始まる思いやりの連鎖が、温かな奇跡を呼ぶというような、そんな物語でございました。

 読む前に別に情報を入れてから読んだわけではありませんが、映画化になって今月から上映 されているようです。本を読んだあと、YouTubeで予告編をいくつかみましたが、原作とはニュアンスがちょっと変わっているような気がしますが、それは #映画化あるある なので、気にしないこととします。(笑)

 私は 宮古ロータリークラブ に属していますが、現在の会長さんが「子ども食堂」を応援したいということで、夜例会のときに参加者から1000円づつ集め て、ある程度の金額になったら、子ども食堂に届けるという、そんな活動をしています。今まで2回届けたようですが、3回目は小山田さんも一緒に連れて行く といわれています。

 子ども食堂を主催している方が、例会に来てスピーチしたときがありましたが私はその時用事があって行くことが出来ませんでしたが、本書を読んで子ども食堂にとても興味をもつことが出来ました。

 子ども食堂とは、子どもやその保護者、地域住民を対象に、無料または安価で食事を提供する社会活動で、子どもが安心して過ごせる居場所として、食事や宿題、遊び、交流の場を提供している感じだろうか。

 本書で不良の石村が心也に「ご飯を食べに行ったのをしゃべった!」と詰め寄るシーンがあった。子ども食堂に行くという行為が、子どもにとって「見られたく無い行動」なのかもしれない。そんなことを考えさせられました。

 子ども食堂に行くということは、家が貧乏 だったり、世話をしてくれる親がいない ということを公開しているような行為で、子どもにとっては恥ずかしいことなのかもしれない。

 例会の主催者のお話は聞くことが出来ませんでしたが、行く機会があればそのような配慮をしているのか、少し聞いてみようかとそんなことを思わせてくれました。

 森沢明夫さんの本は読書の記録を確認したら14冊読んでいました。どの本にも共通するんですが、登場する場所のイメージが湧くというか、場所がとても印象的なストーリーが多いです。

 「プロだけが知っている小説の書き方/森沢明夫」で書かれていましたが、登場する建物は間取図を書いて、ドアの開く方向や、建物の中の導線まで考えるようなことが書いてあったような気がします。本書でもそれはとても意識させてくれました。

 「おいしくて泣くとき」という題名が示す通り、やっぱり食って、生きていく上でとても大事であり、#食いたいものが食える、ありきたりで #平凡な日々に感謝 します。

 コメが高いとかニュースでは騒いでいますが、少し高いくらいでもこれからも、ちゃんと食べられる ような、変わりない日々が続くように願いたい と思います。

4月14冊目_2025年85冊目