上達には法則があるということを、著者の経験をベースにしながら、心理学を交えて、初心者の心得。中級者への進化。上級者になるためにはどうするか。スランプの時はどんな風に考えるのか。そんなことがとても丁寧にかかれており、とても興味深い本書でありました。
私はカメラが趣味の一つですが、とても腑に落ちる「カメラ」について書かれたところがありました。
▼少し高い買い物をする
弘法は筆を選ばずという。本当に上手な人は、粗末な道具でもみごとに使いこなすという意味である。しかし、実際には、上達が道具に左右されることがある。
写真が上手になろうと思えば、ある程度のレベルの一眼レフを買ったほうがよい。一眼レフを使っていったん、いろいろなテクニックを身につけた人なら、オートフォーカスカメラを用いてなかなかよい写真を撮れるということはあるかも知れない。けれども、オートフォーカスカメラしか使っていない人の技量があまり上まで進むということは考えにくい。
私は「カメラはマネー」と公言しているほど写真の技術はお金で買えると思っています。しかし、いつも一眼レフで写真を取るわけではなく、iPhoneで撮る機会が圧倒的に多いわけですが、その際に一眼レフを持つことによって知れた知識やテクニックが大いに役立っていることを日々実感しています。
高いカメラを持つことが、スマホで写真を撮るという、これから何万回もやるであろう、そんな行動に影響を与えて行く。実際にほとんどがスマホで写真を撮っているにも関わらず、一眼レフで撮っているんですかと言われることがある。それは私のカメラの知り得たテクニックが、スマホに水平展開が出来ている証拠なのかも知れない。笑
著者は茶道を始め様々なものに精通し、たぶんどれもが上級者なのだと思うが、上達したケースには、ある共通点があり、それはどれも「最初のうちの進歩が遅かったこと」であるという。
たとえば、茶道では、最初の2年ばかりは、同時に始めた数人のなかで習得がもっとも遅く、いまでも師匠が語り種にしているほど。その時期、ふつうの人が疑問に思わないことを疑問に思い、さかんに師匠に質問をしていた。仕組みやその全体像を把握するのに時間が掛かるが、少しでも理解出来て来ると上達のレベルが加速する。
ある刺激に接したとき「見え方」が一度に変わる時がある。それは必然性があり、偶然では無く本人にとっては、奇跡であるように感じるかも知れないが、自分が努力した結果の恩恵である。
あのときに、あの風景、あの人、あの言葉に接したからこそ「見え方」が大転換したという記憶が、自分の生涯におけるささやかなひとつの奇跡として記憶されることになる。そういう奇跡の訪れは、生きるロマンの最高のものであるという。
どんなものも、私には向かない。難しいから理解できない。そんな風に自分で勝手に排除し取り入れないこと。それは、人生の損をしているのではないか? そんなことを痛感させられる。
こうやって本をたくさん読むようになってから、その辺の人よりは、どんなものでも楽しめる様な自分になっているとは思うが、受け付けられないキーワードが浮かびました。笑
それは「村上春樹」です。村上春樹関連は何冊も読みましたが、どうもこうも受け付けません。笑 「見え方」が大転換するためにも、また何か読んでみようと思います。笑
15 th in December / 319 th in 2023