日本のほとんどの地方都市で起こっている人口の社会減。その行きつく先として人口自然減。この状態に陥ると、街は急速に活力を失い、衰退していく。
こうした状況の中、地方都市はもがき続けている。
働き手が減少し、高齢者ばかりの街になると税収が減り、社会保障費が膨らむ。
郊外部に無節操に広がってしまった街を、中心市街地に引き戻して、コンパクト化しようという動きがある。
街の範囲の拡大は、自治体にとっては、道路や上下水道、学校、消防、警察などの社会インフラの整備、維持が多大な負担になる。
これらを街の中心市街地にまとめ、バスや路面電車などの交通網を整備することで、街中に人を呼び戻そうという試みです。
そんな負の財産となる代表例が「ニュータウン」笑
私も、盛岡の松園で小中高と7年過ごしたので非常に痛感します。笑
これから大量の相続が発生するが、この家の相続人にとって、親の残した家は「貸す」などの活用の可能性がなく、自分が「住む」予定もなく、売ろうにも、すでにマーケットが存在しない「負動産」と化しているという。
本書で紹介されている「街」に盛岡があったので、要約してみましょう。笑
盛岡市。歴史や文化に彩られた街をいかにアピール出来るか 。盛岡の街を訪れて、最初に気づかされるのは、この街の自然景観の美しさ。市内には北上川、中津川、雫石川の3本の河川が合流し、川辺の景観が、とりわけ美しい。雫石川の上流にできた、御所ダムによって作られた御所湖は、人工湖であるが、四季折々の眺めは圧巻。西は岩手山の勇壮さと対照的に、なだらかで女性的な山容の駒ヶ岳。東は、北上山地の最高峰・早池峰山を拝むことができる。盛岡城を中心とした城下町で、城下町としての風情を、いたるところに残し、「みちのくの小京都」とも呼ばれている。盛岡出身の詩人・石川啄木は、盛岡を「美しい追憶の都」と呼び、岩手県に縁の深い作家の宮沢賢治は、この街を、親しみを込めた言葉で「モリーオ市」と呼んだという。初耳だった。笑
街中には洋館も多くみることが出来る。1911年に当時の盛岡銀行本店として建築された、ルネッサンス風の建物で、東京駅を設計した辰野金吾氏の手によるもの。旧九十銀行の店舗を保存した「もりおか啄木・賢治青春館」は1910年築の洋館で国の重要指定文化財。
歴史や文化に彩られた街、盛岡であるが経済に目を向けると目立ったものが見当たらない。新幹線の開通は産業の集積には至らず、仙台に水を空けられている。東西を産地に挟まれ、南北にしか発展の余地が無い。笑
宮古人としては、完全に蚊帳の外と言う感じですね。笑
人口も2000年の30万人をピークに減少傾向。このまま推移すれば、2040年には24万人まで減少する推定。
「小京都」としてのアピールが足りないという。東京から京都に行くのも、盛岡に来るのも所要時間は同じ。京都を訪れる観光客は5200万人いるのに、盛岡に来るのは400万人。宿泊数に至っては、京都450万人に対し、盛岡24万人。あまりにも少なすぎませんか。盛岡の魅力をもっと発信してくださいと、著者は嘆いておりました。笑
盛岡のことだけ、書かせて頂きましたが、日本全国どこでも起きていることなんです。自分の住んでいる街はダメ。そんな風に嘆く若者は多い。大都市へ。関東へ。東京へ。しかしそんな東京も人口減少のフェーズに入りつつあるということを、認識すべきです。
「日本全国コンパクトシティ化政策」が仮にあったとしましょう。
あなたは家族全員、親戚一同で東京に行くのですか? 笑
「アフターコロナは街選びの時代へ」
こんなことを著者は説いています。
オフィスで働くのが当たり前だったコロナ前の形態が、人が集まるというだけで素敵に見えた幻想があったのでは。今後も引き続き、人を集約出来る魅力的な町でいられるのだろうか。逆にこんな選択肢に多様性がある現代は、チャンスもあるのでは無いか。
そんなことを考えさせてくれる1冊でありました。笑
5 th in December / 351 th in 2022