ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ―人糞地理学ことはじめ/湯澤規子

本の題名通り率直に思ったことがある。

昔は汲み取り便所から家の畑に糞尿を肥料として、自分の体から出たものは農地に還元する。そんな人糞を使用している光景は身近なものであった。

ウンコは畑の肥料になる。そんな風に自然に思っていたが、今のウンコはどこに行っているのか。

私は日本下水道事業団で行っている、「下水道技術検定第2種技術検定」というまぁまぁ難しい資格を有していますが、知らないことだらけで、ますますウンコについて興味が湧いてきました。笑

私たちの身近な存在でありながら、流されてしまえば忘れられてしまうウンコ。

しかし、お尻の拭き方、始末の仕方も世界では様々な方法がある。

歴史的に人体から排出されるウンコという物体に、価値があった時代があった。

借家を営むものは、住んだものは垂れるウンコは価値があり、盗難されないよう施錠など対策までされていた時があったと言う。

時代は移り変わり、価値がある=買い取る ものから 汚い=処理するための費用が必要。

プラスからマイナスに転じた歴史を事細かに勉強することが出来ました。

ホームセンターには家庭菜園用の肥料がたくさんある。

鶏糞、牛糞など。普通に売っている。

なぜ、人糞は無いのか。

毎日、私達が垂れるウンコはどこに行っているのか。

そんな背景や歴史についても有意義に学ぶことが出来ました。

黄金列車

都市部で集められた糞尿は、列車を使用して郊外に運ばれていた。

フール

沖縄の一般住宅には豚舎が併設(縦設)されており、トイレは豚舎に落として豚に処分してもらっていた。

敗戦により、GHQはそんな仕組みを許すことも、理解することもとても出来ないため統制し排除していったのだという。

東京オリンピックを前に、ウンコを運ぶ列車の運行は許されなかったという。笑

著者はこの様に説いています。

今日の日本で、ウンコがかつてのように農地に還ることは困難になった。しかし、それはウンコが汚いからなのではなく、むしろ、私たちの食べものや下水道に流すものが変化した結果であった。だから、物質的な豊かさ、時間を節約する便利さ、衛生的な暮らしを求め続ける私たち自身にもその責任があるということを、あらためて考えてみる必要は、やはりあるのだと思う。

身近でとても役立つものであったウンコ。

ある時を境に、不要なもの。汚いもの。自分の体内から出た瞬間に、できるだけ遠ざけるのが正義。

そんな風に思うようなものになってしまった。

「時代はSDGs」

しかし、ウンコに関する技術や議論は耳にすることが無い。笑

一番身近な再生可能で、そして毎日自分から出るものなのに。笑

皆さん、もっと。

ウンコに目を向けようではないか。笑

2th in August / 213th in 2022