高度経済成長のまっただ中、誰もが「明日はよりよくなる」と信じることができた時代。
1965年、一人の少年がマイクを握った。その瞬間、彼の運命は、芸能界の歴史は軌道を変えた。
ザ・タイガースの熱狂、ショーケンとの友愛、「勝手にしやがれ」制作秘話など。そして登場する往年の人たちがスゴイ。内田裕也、加瀬邦彦、井上堯之、糸井重里、伊藤銀次、佐野元春、大澤誉志幸、吉田健など。様々な人間が絡み合い、当時の歌謡界は成り立っていたのだとつくづく思う。
ジュリーが全盛期だったのは、私が小学校高学年の頃だろうか。調べたらレコード大賞を「勝手にしやがれ」で受賞したのが、1977年だから、私が小5のときなのでまさに私の記憶は正しかった。
Wikiで歴代シングルを見ましたが「勝手にしやがれ」の後に出したやつで、すんなりメロディーが浮かぶのは、「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「ヤマトより愛をこめて」「LOVE」「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」「恋のバッド・チューニング」そして1981年の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」くらいまでだった。この4年程度でも、これくらいの曲を思い出せるのはある意味すごいし、これがジュリーの功績なのだろう。そんなことを思う。
ちなみに「勝手にしやがれ」はシングル19枚目。直近では2022年11月11日に「いつか君は」という曲を出していて、それがシングル80枚目だとWikiには書いてあった。未だに現役で活躍しているようです。
ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録。1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保ち、アルバムも合わせた総売上は約1572万枚。ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上るという。
大島渚がカンヌ映画祭で、グランプリの獲得を目指して企画していた「戦場のメリークリスマス」に関するエピソードが紹介されていました。
デビット・ボウイが出演を承諾した後で、相手役として沢田研二に打診した。沢田も乗り気で、当時世話人をしていた内田裕也とともにホテルオークラに大島渚を訪ねた。ところが、ジュリーは出演に条件を付けた。
「そのスケジュールでは、国内ツアーが予定されています。100人以上のスタッフの生活がかかっています。僕の独断で辞めるわけには参りません。スケジュールをずらしていただくことはできませんか?」
内田裕也はシマッタと思った。ツアーがあるので、デビット・ボウイとスケジュール調整しろと言うのか?。プライドの高い大島渚は机を蹴るように立ち上がった。
当初は坂本龍一ではなく、沢田研二に出演を依頼していたという、そんなエピソードをしれただけでも、本書を読んだ甲斐がありました。(笑)