天命-沈む夕日もあしたになればまた昇る-/中村正美

平成15年9月発行の本書

著者には数年前までは刈屋の丸光を訪れたとき
よく会って話をするものだったが、
閉店後はなかなか会うこともなかったが、
昨年に逝去された。

丸光で会うときは大抵酒を買いにきている時で、
癌を患って治療しているにも関わらず、
酒を飲んでいると話を
聞かせてくれるものであった。

宮古の鍬ヶ崎で生まれ、刈屋の岩手林産加工(株)に入職。
退職時は専務であったため、
旧新里地区会合などでは何回も
私は酒を酌み交わしたものでありました。

とにかく酒飲みのイメージが残っています。

前述の丸光で10年位前だったろうか。
「毎日、どれくらい飲むんですか」
そう聞いたことがある。
「ワイン1本でやめる。えらいべ」
そう言われたので、
「大したこと無いですね。笑」
そう私が返すと・・・
「焼酎をワインで割るのさ。」
「割るワインが1本無くなったらやめる。」
さすがに酒飲みの私もそれにはたまげた。笑

発行当時、読んではいましたが、
母に持っていないか訪ねたところ、
すぐに持ってきてくれたので、
何十年ぶりに読んで見ることにしました。笑

「江戸で吉原、南部で宮古」そのように言われた
遊郭の街として栄えた鍬ヶ崎に生まれ、
幼少の筆者から見た当時の賑やかな様子が
描かれています。

父親はいなく母親一人に育てられた
貧乏な幼少期から学生時代。

親友が校門で後輩に「中村と書かないと殴る」
そんな脅しのおかげで
宮古二中の生徒会長になれたとか・・・

宮古二中の2年生の弁論大会。
3年生をさしおいて2年生がトップ3を独占。
中村正美 中里栄輝 吉田洋治

中卒で漁師になる同級生が多く
12人もの同級生が海で命を落とした
悲しいエピソード。

刈屋に就職してから
26歳で家を建てるまでの思いや金策。

中でも印象的なエピソードがあります。
昭和37年。入社の数日後。入社祝いをしてやるからと
社長の自宅に呼ばれたことがあったという。

知っている人は知っていると思いますが、
社長の自宅と言うのは、刈屋お寺の上にある、
「舘(たで)」と呼ばれる、私の父の実家です。笑
社長は私の父の兄。叔父です。笑

入社祝いの席に用意されたお膳には
見たことも無いようなごちそうが盛られ、
社長の勧めもあり沢山に酒や料理を頂いたところ、
便意をもよおし外便所に行ったのだと言う。

外便所で大便をしたところ、
肛門にうんこが付いたと言う。
ポットン便所の蓋を取らずにその上にしたため、
蓋から肛門までうんこがそそり立ったのだと言う。笑

片付けるのに大変手こずり時間がかかり
酔いも冷めてしまう。
戻ったときには、社長に問われたという。
「随分時間がかかった〜な〜!?」

「下界の景色が美しいので見とれておりました。」

こういうハイカラな言葉を発する人でありましたが、
二十歳そこそこからこんな感じだったのだろうか。
そんなことを思わせてくれました。笑

この外便所、私もうんこをした時があります。笑
大分古くなりましたが、独特の佇まいをしています。
50年前はたいそう立派だったことでしょう。
今度、レポートしようと思います。笑

癌を患っていた話を前述しましたが、
こんなことを言われたのをよく覚えています。

「行男(私の父)さんが死んで何年経つ?? 重穂(社長)さんや行男さんがまだあの世に入り口のあだりさ居だべーがら、まだ行きたくねーな。」

大丈夫会わないで済みましたか? 笑

あの世でも沢山飲んでくださいね。

ご冥福をお祈りします。