幻冬舎代表の見城徹と、
サイバーエージェント代表の藤田晋。
小さなことにくよくよしないで、大きな仕事ができるわけがない。
憂鬱なことが三つ以上ないと不安になる見城徹。
情熱をオブラートに包むが激しい藤田晋。
ふたつの魂が交錯し誕生した、
何が大切で、何が無駄か?
そんな二人から繰り広げられる35の言葉。
スムーズに進んだ仕事は疑え。
これほどの努力を、人は運という。
自己顕示と自己嫌悪は「双子の兄弟」
刺激しなければ、相手の心は掴めない。
ヒットは地獄の始まり。
そして「憂鬱でなければ、仕事じゃない」
言葉だけ読むと、何のこっちゃという感じですが、
二人の文章を読んだ私がわかれば良いので、
気にしないでください。笑
見城氏の本にはたくさんの人脈が紹介されているが、
必ず出て来るといっていい、先日亡くなった坂本龍一さん。
本書では、このような記載があった。
僕は人がふと、自己嫌悪をのぞかせた時、「この人とは付き合えるな」と、思う。僕の仕事仲間であり、長年の友人でもある男に坂本龍一がいる。彼は誰もが認める世界の大音楽家だ。彼とはほぼ毎晩飲み明かしていた時期がある。二人ともまだ若く、刺激し合い、よじれ合うように過ごした。その時、口には出さないが、互いの自己嫌悪が二人の接点になっていた。 彼の音楽は美しい。その裏には、彼の深い葛藤がある。両極を絶えず振幅している。 あのメロディーの豊かさを支えているのは、彼の自己嫌悪なのだ。
見城徹氏は読書について
「自己検証」「自己嫌悪」「自己否定」
するためだという。
「自己嫌悪」
世間ではあまりイメージの良い言葉としては使われない。しかし、様々なものを作り出す、考え出す。そんな原点としての「自己嫌悪」再確認しながら、坂本龍一さんのご冥福を祈りたいと思います。
3 th in April / 74 th in 2023