こんなに「粗食だった?」日本史人の謎/西田みどり

日本人の偉人はどんなものを食べていたのか。

それは和食の原点となる粗食だった。

宮沢賢治、禅修行僧、役行者、空海、出口ナオ・王仁三郎、水野南北、、井上正鉄、梅辻規清、西勝造、徳川家康、天海僧正、春日局、大久保彦左衛門、水戸黄門、武田信玄、、上杉謙信、上杉鷹山、徳川吉宗、伊達政宗、勝海舟、親鸞、杉田玄白、千利休、中山みきなど、参考文献の多さを見ればわかりますが、よくこれほど調べたと関心させられます。

精神世界を知る上での興味深い貴重な内容が満載です。

せっかくなので、宮沢賢治をメモしておきましょう。

宮沢賢治(1896~1933)は法華経に帰依しその経典の説く教えを日常で実行しようと懸命になっていた。その生涯は〝利他の精神〟に貫かれ、自分の生活を省みずに、人に対してお金や物を施し、自身は質素な暮らしをしていたという。

賢治の思想をもっともよく表現しているのが、岩手県民なら知らない人はいない「雨ニモマケズ」

賢治が理想とした生き方を描いたと言われているという。賢治は生涯結婚せずに不犯を守り、食に対してもたいそうこだわった。その食についてのこだわりを一編の小説にまとめあげたのが『ビヂテリアン大祭』

「ビヂテリアン」とは「ベジタリアン」、つまり菜食者。まだ一般的なカタカナ表記が決まっておらず、賢治は発音から「ビヂテリアン」と表記したという。

この作品のなかで菜食者についての説明と、同じ菜食者のなかにも種類が存在する。

「同情派」と「予防派」

生を食するということに対して、同情するものと、

健康のため、自分の利益のため粗食するものがいる。

普段、何も感じず「生」を食する自分でありますが、

食さない選択肢もあるのでは。そしてその理由として、自分の気持が外に向かうのか、それとも自身だけに向かう思想なのか。

やっていることは同じだけれど、全然違う行動ではないのだろうか。そんなことを考えさせてくれる1冊でありました。

大量消費、大量廃棄。

腹いっぱいこそ幸せの極まり。

そんな時代はもう時代遅れなのかも知れませんね。笑

『ビヂテリアン大祭』

是非、いつか読んで見ようと思います。

11 th in December / 357 th in 2022