たかが江川されど江川 /江川卓,西村欣也,玉置肇,永瀬郷太郎

1988年発行の本書。江川引退は1987年なので、引退の1年後。江川本人と仲の良いバンキシャ。そして、正子夫人の言葉が綴られています。

「江川事件」とか「空白の一日」と言われる騒動が起きたのは1978年。私は10歳なので、テレビで大騒ぎになっていた印象はあるが、詳細は覚えていない。「江川=悪&生意気」そんなイメージを持ったのを覚えている。

そして、父が江川に対してとても嫌悪感を持っていた印象がある。そんな程度です。笑

せっかく勉強したので、私が解説しましょう。笑

高校時代からプロ野球の注目だった江川。高卒時、ドラフト指名は阪急ブレーブス。この時は現在の方式とは違い、クジの順番を決めてから指名する方式だった。慶応大学進学を公言していた江川との交渉は決裂。なのに慶応大学は不合格。法政大学に進学する。大学卒業時に指名されたのは、クラウンライターズ(※西武の前身です)。ここでも交渉決裂。江川は巨人を熱望していたと言われているが、実際希望していたのは「在京セ・リーグ」巨人、ヤクルト、大洋。この3球団だったら間違いなく入ったと書いてありました。笑

在京セ・リーグにこだわったのは、すでに付き合っていた正子夫人と離ればなれになるのは、考えられないことが主因だったという。

そしてアメリカの大学に留学する。留学とは名ばかりで、野球部の練習に参加するというだけで、入学したわけでも無く、もちろん学生証もなく大学に所属していたわけではなかったという。

そして後世に語られる事件となる「空白の一日」。ドラフト会議のあとに、アメリカで記者会見する場所まで決まっていたというが、ドラフト会議数日前に江川の父から電話があり、すぐ帰国するよう指示されたという。「卓が巨人に入る方法がある」父はそれしか言わなかった。

帰国した夜は彼女(正子夫人)と会えた嬉しさから、そのまま就寝。次の日に連れられて行かれた「巨人との契約」

当時の規約は、ドラフトによる交渉権はドラフト当日から、次の年のドラフトの前々日までが有効だったという。ドラフト前日に、球団が動けるように1日の空白が儲けられていた。さらに、日本の学校や球団に属しているという条件があったため、江川は条件から外れていた。

規約を読み込み、弁護士にも相談。法学部だった江川本人も納得して起こしたアクションだったという。ドラフト前日に、江川と巨人が契約。バッシングの中で遂行されるドラフト。抗議するため巨人はドラフトボイコット。そんなドラフトで江川の交渉権を阪神が獲得する。

それから始まった、プロ野球業界のゴタゴタ劇。おさめるために、コミッショナーのした提案はトレード。まだプレーもしていない新人をトレードさせるという、とても強引な解決策。そして巨人のエースだった「小林繁」が阪神へ移籍する。「江川=悪」&「小林=悲劇」というイメージが日本全体に浸透する事件となる。笑

当時の出来事は年齢が年齢だけにあまり覚えていない。笑 しかし「江川=悪」というイメージはある。これは完全にテレビを代表するメディアに、国民がコントロールされていたのではないのか。そんなことを感じる本書でありました。

先日読んだ「江川卓が怪物になった日/松井優史」でも語られていたことがある。高校時代、自分の紹介される記事は「言った事は3割で7割が嘘」そう書いてあり、語れば語るほど嘘を創出されるという体感を得た経験により、報道陣に対してどんどん少なくなっていく言葉。

言葉を選ぶが故、メディアから創出される人物像。

江川本人が「巨人に絶対入りたい」そんなイメージが世の中に浸透しているかも知れませんが、本当はそうではなく、江川はワガママで、巨人に入るためには何でもする。そんな行動をすると、メディアにレッテルを張られ、日本国民から嫌われるために仕立てられた犠牲者では無いのか。

そんなことを思わせてくれる本書です。

大人事情の犠牲者という印象すら感じます。

ドラフトは勿論、早稲田に入りたいと言っていた江川に慶応入学を後押ししていた大人の存在。自分の知らないところで仕組まれた「空白の一日」それをコントロールしていた、父の偉大さ。

今でもテレビにバンバン出ている江川さんですが、メディアに叩かれ人生の邪魔をされたと言っても言い過ぎでは無いと思う。

その分、今は稼いで当時の苦労を回収してください。

そんな応援を出来るような本書でありました。笑

32 th in November / 337 th in 2022