病に伏してからの2020年9月刊行の本書。まさに猪木のラストメッセージと言っていいでしょう。燃える闘魂アントニオ猪木の自叙伝です。
幼少からブラジル移住。力道山からスカウト。付き人から力道山が亡くなるまで。アメリカの武者修行。パキスタン、ヨーロッパ、アフリカ遠征。国会議員になってからの外交活動。病に伏してからの希望など。
印象的だったのは・・・
中学校に入る時180cm超えていたとか。
ブラジル移住の最中、祖父が船中で命を落としたとか。
ブラジルに移住してからの、過酷な労働生活から成功までとか。
力道山とブラジルで会えたのは運命だったとか。
アリと戦ったことによる海外でのネームバリューが凄かったとか。
ふざけ気味に見えた政治活動は実は凄かったとか。
私も中学生の頃、プロレスに熱狂しており、岩手県営体育館に新日本が来たときには見に行っていた。ご多分にもれず、裏口とかに猪木が出てこないものかと見に行った時がある。その入口を警備していたのは高田延彦だった。テレビで見ると細いのに、カラダがでけぇ〜と感じたことなど思い出す。笑
そして、猪木は強かった。本書でも語られているが、相手の力が5だとしても、8から9を出させて、猪木は10で仕留める。それくらい試合も面白くしてくれた。
あまり猪木の印象になかったこととして、著者の海外での評価の高さです。前述したアリとの対戦も大きな影響があるのはもちろんですが、プロレスラーとしての絶対的な強さがその人気と信頼を得ていたのではないかと思うようなことが、たくさん書かれておりました。
そんなこともあり、ビックネームがばんばん来日していたし、若いレスラーもどんどん海外に出ていき、ビックになって凱旋する。裏にはこんな事情があったのだろうと再認識できました。
プロレスラーとしては絶対的知名度があった著者ですが、政治家として素晴らしい行動力を発揮していることに、感銘することが多くありました。
スポーツを通じた国際交流平和活動を、あまり日本のメディアが目も向けていなかったような、ロシア、キューバ、イラク、北朝鮮などに向けて率先して行動し、素晴らしい活動を繰り広げています。歓迎されて島をプレゼントされたエピソードも紹介されていました。
そんな中で気になる名前が出てきた。笑
ロシアの地べたを這いつくばって、情報を収集してくれる優秀な外交官がいて、彼には「俺が役立つことなら何でもする。むしろ俺をロシア外交のために上手に利用してくれたらいい」そんな言葉を掛けたと言う。
後にクーデターを起こす副大統領のヤナーエフと会えたのは、当時、外交官として獅子奮迅の働きを見せていた彼のおかげだと言う。
その男は、鈴木宗男の国策捜査で逮捕され、そのあと人気作家になった「佐藤優」
アントニオ猪木と佐藤優がつながるとは思わなかった。笑
猪木さんがなくなって、プロレスラーとして、格闘家としての功績を称える報道はたくさんされたが、政治活動の報道はどうだっただろう。
国会で「元気ですかぁ〜」と大声を出して注意される報道は何回もみましたが、それ以外の功績について、皆さんに知ってほしいものです。
私もプロレスや総合格闘技に熱狂させて頂いたものとして、アントニオ猪木の功績に感謝したいと、再確認させてくれる1冊でありました。
そして、アントニオ猪木さん、ありがとう。
安らかにお眠りください。
1 th in November / 306 th in 2022