第24回(2011年) 三島由紀夫賞受賞
小学校に行ったり行かなかったりのあみ子。先生から叱られてばかりでクラスメートとも一向に仲良くなれない。話し相手になってくれるのは、母の書道教室に通うノリ君。兄は書道教室に参加しているのに、あみ子は参加できず覗くことも許されない。
10歳の誕生日、あみ子は父からトランシーバーをもらう。あみ子は、お母さんのおなかにいる生まれてくる弟と、スパイごっこをすると張り切り訓練する。
「おーとーせよ。こちらあみ子」
しかし、あみ子の弟は死産する。あみ子は母を元気づけようと、弟の墓を作ることにする。あみ子は、字のうまい母の教室に通っていたノリ君に、木の札に字を書いてもらう。「弟の墓」
きれいな字を惚れ惚れと見つめた後、何も植えられていないプランタに埋め込んだ。母に見てもらおうと母の手をとり連れて行き、指差した。
「手作りよ。死体は入っとらんけどね」
この出来事から、母親は崩れていく。兄もどんどん不良になっていく、それに伴い家族もどんどん崩れていく。
あみ子が発達障害だとか、そんなことは全く書いてありませんが、何と奇妙な少女なのか。見たまま。感じたまま。遠慮なし。ぽんぽん言葉を吐き出すあみ子は、周囲から面倒に思われており、相手をしてもらえない。
そして本書はあみ子視点で描かれています。行動や思想、繰り出される言動など、主人公の奇妙さも加わっているせいもあると思いますが、著者の他書同様、不穏なザワザワする感じや、不思議で違和感がある感じ、一体何だったのかわからない感じが際立っている印象です。
あみ子の様な少女が身近にいたら自分はどう思うだろうか。家族が大変だろう。将来が心配になるだろう。そんな周囲の「自分は正常だと思いこんでいる人間目線」で考えている。いったい本人の頭はどの様になっているのかなど、考えたことはなかった。しかし本書は全てがあみ子目線で描かれている。
その様な人間に接した時、今までは「避けるのが懸命」と思っていた自分は間違っていたのでは無いかと考えさせられる。なにか自分が出来る「今までと違う行動」もあるのではないか。
著者の作品は4冊目ですが、まさに・・・
今村夏子ワールド恐るべし。
レビューで皆さんよく書いているのを見かけますが、著者の他の作品を読んで見たいと思わせるのは、他書同様変わりません。
また、ポチってしまうのでしょう。笑
28 th in October / 296 th in 2022