姑の遺品整理は、迷惑です/垣谷美雨

垣谷美雨さんが止まらない。笑 

8冊目です。

姑が亡くなり、住んでいたマンションを引き払うことになった。業者に頼むと高くつくからと、嫁である主人公はなんとか自分で遺品整理をしようとするが困難だらけ。夫も手伝うようになるが、捨てられないタイプの夫に、さらにイライラ度が増幅する。

誰もが経験するであろう「遺品整理」や「物を捨てるという行動」について「スッキリ」させるはずなのに、自分の気持や他人とのやりとりで「イライラ」の連続。

最近、父の友人であった老人に、家財の処分を相談されている。

会話の節々で登場する、

「いる」「いらない」「誰か欲しい人がいれば」

答えは「いらない」の1択だとは思いつつ、本書を読んだことで様々な思い出やエピソードに耳を傾けることが出来た様な気がする。第三者にとってはゴミでも、当の本人にとっては「思い出の品」なのだと、痛切に感じ取ることが出来た。

かつては庶民が大量の物品を所有することは無く、ひとり死んでいくような老人は、家財道具といえば鍋釜布団程度。あとはすぐに潰して燃やせる家具くらいだったという。

戦後の大量生産大量消費時代になった今は違う。貸家での一人暮らしでも家具や家電製品は一通りあるし、昔は世の中に無かった、何年も保存出来るような食品すら存在する。人生が長くなった分、溜め込むモノも必然と多くなる。

しかしこのモノ溢れの時代、値打ちがあり現金化出来るものならまだしも、小銭程度にしかならないのでは、リサイクルに出すのも一苦労だし、そもそも出せない物も多い。そして廃棄するにも金がかかる。

そんな世の中ゆえ断捨離や生前整理が流行るのだろうが、完璧に実行できる人はそうそういない。自ら死に時を見極め準備し、残される人の負担を軽減させる。果たしてそんな人がどれくらいの割合でいるのだろうか。

「酒」と「電子書籍」にしか、お金を使わない私は、

結構賢い人間なのかもしれません。笑

酒をやめればもっと賢くなるかもしれませんが、それは無理です。笑

「物質を所有する」ということは「幸せにあらず」

そんな事を深く考えさせてくれる1冊です。

身の回りの物を減らすのは、体が動かなくなって来る60代からではもう遅く、真面目に50代から考えた方が良いのかもしれませんね。笑

18th in October / 286 th in 2022