「死にたい」などという冗談レベルの話に接したことはあるが、真剣に「死にたい」という告白をされた経験は幸い私にはない。
「死にたい」という告白の底にある「本当は生きたい」をいかに汲み取ればいいのか。さまざまな支援現場の「リアル」が描かれています。
地域における未遂者支援の現場から
緩和ケアの現場から
生活困窮者支援の現場から
障害者就労支援の現場から
借金問題・債務整理の現場から
児童養護施設で出会う「死にたい」
困難を抱える女子中高生への支援の現場から
HIV陽性者支援の現場から
犯罪被害者と向き合う現場から
電話相談の現場から
僧侶による支援の現場から
自殺者が存在する以上、支援するもの、食い止めようとする人たちは存在する。読みすすめるたび、自分から「死」を選択するには様々な要因がある事に再確認。最近では「SNSの誹謗中傷」や「コロナうつ」「有名人の自死」など。報道さえなければ起きないのではないかという、そんなことも考えさせられる。
自ら「自死」を匂わせ他人にそんな考えを伝えている人もあれば、何も誰にも伝えず「自死」する人もいる。後者は誰も止めることはできない。本人の意思さえあれば方法はたくさんある。
なんの本で読んだか覚えていませんが、「悩み抜いて自殺する人」の他に「衝動的に自殺する人」が結構な割合で存在するという。
自分は「自死」を選択したいと思う状況は訪れるのだろうか。笑
とりあえず普通の人より「長い」から「邪魔」だろう。
「寝たきり」になったらきっとそんな事を考えるかもしれない。笑
それより衝動的にするってどんなだろう。笑
すぐに思いつくのは「酒」ですね。
飲みすぎないように注意しましょうね。
無理ですけど。笑
18th in May /150th in 2022