激震の後に待ち受けていたのは「朝日の朝刊は製作不可能」の報せ。
100年以上重ねて来た紙齢は途絶えてしまうのか。
社員たちの戦いは始まった。
そんな書き出しで始まります。
Facebookの友人が読んでおりおもしろそう。
そんな気持ちで軽く読むと後悔するほど涙ものです。
仙台に拠点をおく河北新報。
3.11から数カ月間の記録が生々しいほど、
見慣れた映像や写真ではなく被災者の一言一言を
丹念にそしてそこまで気遣いし文章にするのか。
そんなことすら思わせせる内容です。
被災者でもある記者が自分より大変な被災者に寄り添いながら拾った「心の声」
映像や写真で無いからこそ、後世まで残してくれるものになるのでは無いか。
そんな風に思わせられる。
報道ヘリから写真撮影。
「ごめんなさい、ごめんなさい。何もしてあげられないんだ。」
涙しながらシャッターを切るカメラマン。
3月11日の当日から結成された「おにぎり班」
3月末の社員食堂が復旧するまで、毎日数百個のおにぎりを作ったと言う。
そんな食糧事情やありがたすぎる支援物資。
そして福島にいた記者。
上から命じられ避難するも「これで良いのか」
「これで地元に寄り添う新聞社といえるのか」
そんな思いに皆、葛藤する。
新聞社ということもあり、文章を書くプロが集っているせいも
あるとは思いますが、全紙面。全体的にお見事。お涙頂戴です。笑
震災を後世に残す目的で、全社員に震災から1ヶ月たった後、
実名でアンケートを求めたと言う。
①地震が発生したとき何をしていたか。体験を言葉で表現すると。
②地震発生後どんなことを考えどんな行動をとったか。
③初めて津波の被災地を目にしたとき何を感じたか。
④業務をこなす上で特に不便を感じたことは。
⑤肉体的、精神的に感じた苦痛はなにか。
⑥ここ1ヶ月で特に感激をしたことはなんですか。
⑦会社、編集局の対応に反省点があるとすればなんですか。
⑧その他、今書き残しておきたいことがあれば自由に記述。
大分省略しましたが質問内容はこんな感じです。
そしてこのアンケートの内容も書面に大分登場します。
その時だったからこそ、心から出てくる文章だったのでしょう。
大変、心打たれ、涙頂戴多数。
河北新報を取ろうか。笑
そんな風に思わせてくれました。笑
新聞は無くなる。
そんな言葉を未来予測本ではよく目にする。
しかし情報弱者。
そしてインフラが致命的な打撃を受けたときの災害時。
これほど必要なメディアは無いのでは無いか。
そんなことを考えさせられる。
大変勉強になりました。笑